じぶん更新日記

1997年10月


文中のリンクについてはメンテを行っておりません。ご了承ください。

971031(金)
[日記]10月の「日記界」をふりかえって(その2:手動更新の日記は増えたか)
 岡大では11月1日(土)から3日(月)まで、恒例の大学祭が始まる。きょう(金曜)の夜はその準備にとりかかっていたようだが、木枯らしが吹き荒れてみな寒そうにしていた。そういえば、隠岐の西郷では、観測史上最も早い初雪を観測したとか。大学祭は3日間行われるが、時計台西隣の二部学生の「夜学祭」は、土日だけの2日間なので要注意。
 昨日は、日記を読む側の「投票行動」の推移について書いたので、きょうは、この3カ月余りのあいだに、日記猿人登録日記の中で、毎日それを更新する人が本当に増えたのかどうか、データを公開したいと思う。
 このデータは、日記猿人の「新作Top200」、9月下旬からは「自動更新を除く新作Top200(アルファテスト中)」に基づくものである。
 周知のように、日記猿人に登録された日記は、自動更新チェック、もしくは手動による更新報告によって読者に伝えられるが、今回は、手動更新報告された日記のみを対象とした。自動更新チェックの日記の中には、更新内容が不明のものもある。特に、最新の日記のページではなくてホームページの表紙にリンクされているような場合、表紙のレイアウトを変えただけでも更新されたと見なされてしまう。せっかくアクセスしてもがっかりすることが多いし、中には、「当分日記を休みます」と書かれたHPまで含まれていることがあった。私自身、9月下旬に「自動更新を除く新作Top200」のリストができてから、従来の「新作200」のページは全く見なくなり、結果的に自動更新チェックだけでリストアップされる日記を拝見する機会は殆どなくなっている。
 さて、このグラフは、8月中旬以降の、手動更新報告された日記数の推移を示している。日記の更新数は、休日と平日(平日のほうが多い)では異なるので、赤丸は日曜日の、青丸は平日の24時間以内(おおむね前日午前8時〜当日午前8時)の更新数を示した。当日朝の集計なので、「日曜日」というのは、前日土曜日の朝8時から翌朝日曜日の朝8時までという意味である。平日は更新数が多いため、自動更新チェック分を入れると、24時間以内に200以上の日記が該当し、リストに載りきれないことがあった。そこで、平日については、緑色の■印で、17時56分以降翌朝8時までの手動更新報告件数の推移を代わりに示すことにした。なお、9月下旬以降は、「自動更新を除く新作Top200(アルファテスト中)」が開設されたために、平日でも24時間以内の登録状況を十分把握できるようになった。
 図から明らかなように、8月中旬以降、休日も平日も、更新報告された日記の数は、必ずしも増えていないことがわかる。24時間以内の日記数は、休日の中央値が132本、平日(但し9/24以降)の中央値は163本となっている。
 実質日記数が8/14の810から10/20の923というように100以上増えているのに(いずれも管理者用2本を除く)、更新報告される日記数があまり増えていないのはどうしてだろうか。
まごちゃんは53歳。77g。


971030(木)
[日記]10月の「日記界」をふりかえって(その1:最近の得票ランキングにおもふこと)
先日、京都の正伝寺のことを書いたら、思いがけない方向で論争が巻き起こってしまった。あのお寺には確かに「血天井」があった。血液鑑定でも、ヒトの血であることは証明されていたと思ったが、それが誰の血であるかは、別の歴史的証拠が必要だろう。この日記を書き始めた頃に、ちょうとcolonさんからの説明があった。次のオフミは、西賀茂の正伝寺で決まりだなあ。
 夜に「残業」をしていると、ついつい、けーじばんなどを読みにいってしまう。某けーじばんからの情報で、何でも私が「○○の女王」に選ばれたらしいことが伝わってきた。この日記は、うちの学生も読むので、直接リンクはできないが、5票も集まるとはねえ。そもそも、得票で何かに選ばれるというのは、小学校の学級委員の選挙以来のことだなあ。
 今月もあっという間にすぎてしまった。例によって、月末〜月初めは、恒例の「日記読み日記」シリーズを始めることにしたいと思う。
 きょうは、他の仕事が22時頃までかかったので、短めにグラフを1つだけ。これは、日記猿人の「読んだよボタン」の得票ランキングのうち、1、2、3位と11、12、13位の得票数の推移を示す。念のため言っておくが、各日記の得票ランキングの順位はその日によって変わるので、同一日記の得票数の推移を示すものではない。
 このデータをとろうと思ったきっかけは、得票ランキングへの投票参加がこの数ヶ月のうちで増えているのか減っているのか、あるいは横這いなのかを調べることにあった。データは、7月12日から、8月30日から、9月27日からの、それぞれ3日分(土、日、月の早朝から翌朝までの得票)と、10月25日から今朝までの連続した推移を示している。
 グラフで面白いのは、第1位と第2位の得票数だけが、数ヶ月前までに比べると2倍以上に増えている点だ。しかし、このことは、投票参加が増えたことを必ずしも意味しない。3位あるいは11位から13位の得票はほぼ横這いだからである。
 今回のグラフでは、9月までは土〜月のデータだけを示し、10月25日以降には火、水のデータが含まれているので、曜日に特徴的な得票増加とも考えられる。しかし、例えば7月15日(火)〜7月18日(金)の最高得票は、42、51、47、40票であり、この時期に50票以上が記録されることは滅多になかった。
 もうひとつ、それぞれの日で、2票以上獲得した日記の人数(1票獲得者の順位マイナス1で計算可能)をチェックしてみると、同期間の7月、8月、9月、10月の中央値は、127、131、134、130人であり、横這いであることがわかる。
 この原因はよくわからない。上位2位の方の日記は、それぞれ個性と魅力があり、これだけの得票を得ることは決して不思議ではないのだが、急激な人気上昇の秘密はどこにあるのだろうか。


971029(水)
[一般]テレビの連続ものの初回と最終回
 昨日の日記でTVアニメや、その原作の連載漫画のことを書いたところ、さっそく何人かの方から情報をいただいた。いずれまとめて特集記事にしようと思っているが、主として、元I亭のTさんからいただいた情報をもとに、追記と修正をさせていただくことにしたい。
 さて、今日の話題だが、アニメや漫画の記憶が活性化したところで、ぜひ、ラジオやテレビの連続ものについても書いておこうと思う。
 私が幼稚園の頃はまだテレビも電気冷蔵庫も洗濯機も電話も「電蓄」もなかった。電話は隣の家に、大相撲で栃錦や若乃花が登場する時には数軒先の家までテレビを見せてもらいに行ったものだ。で、そのころ聞いていたラジオ番組といえば、「ヤンボウニンボウ」が初めだったと思う。もちろんそんな時代だから、真空管式のラジオにかじりついたものだ。「ヤンボウニンボウトンボウ」は、確か3匹のサルがインドに旅行する話だったと記憶しているが、ほとんど覚えていない。確か、あれに出てくるカラスの声は黒柳徹子さんだったと思う。
 そのあとに夢中になったのが「赤胴鈴之助」だった。だいぶ後になってから漫画もできたようだが、ここで言っているのは、あくまでラジオの話。「剣をとったら日本一だ、...」というテーマソングは今でも歌える。しかし、あの少年は尊王攘夷派だったか新撰組だったか、最後はどうなったのか、まったく記憶にない。
 その後、自分の家でテレビが見られるようになったのは小学校4年の頃からだったと思う。そのなかで、初回や最終回が不明のものと言えば...、 このあと、大学入学の頃までは、テレビの連続ものは殆ど視なかった。大学に入ってから見始めたものとしては、
まごちゃんは、51歳、77g。


971028(火)
[一般]アニメ・漫画の初回と最終回
 けさ、大学構内の隅で、半分壊れたバイクをみつけた。ナンバープレートがついていたので、西署に問い合わせたところ、23日に届けが出ている盗難車であると判明。じきに、近くの交番から警官1名が自転車に乗ってやってきた。後処理は事務官に仕事になるので、その後の展開は不明だが、少なくとも、現場の写真を撮ったり、指紋を採取する気配は見せなかった。どうやら、バイクの盗難ぐらいでは、警察は犯人を捜そうなどとは考えない模様だ。明確な刑事事件が発生していながら、警察がそれ以上何もしないというのはちょっと合点がいかなかった。もちろん、現実に、犯人を逮捕するのは至難の業であろうが、これでは、盗まれ損というものだ。あるいは、持ち主が盗難保険のようなものに加入しているのかもしれないが、もし、犯人を捕まえる努力もせずに保険で新品が買えるとしたら、これもまた問題だ。実際のところはどうなっているのだろう?
 さて、今日の「炎のチャレンジャー」では「超人気アニメ百問当てたら百万円」をやっていた。最後まで残ったフリーライターは、「ど根性ガエル」の「梅さん」のフルネームを間違えて惜しくも失格となった。正解は「佐川梅三郎」だというが、そんな名前がどこに出てきたか、まったく記憶にない。
 この「ど根性ガエル」でふと思ったが、あの原作の漫画、結末はどうなったっけ?。あれに出てくる、女の先生は、さおり先生ではなくて確か「よしこ先生」だったと記憶しているが、結局、梅さんと結婚したのか、南先生?と結婚したのか? 
 長期連載/放映されている漫画やTVアニメは、この作品に限らず、始まりと終わりも知らぬままに、いつのまにか自分の関心の外に消えていくものが多い。いつぞや『いきなり最終回』という雑誌で、最終回だけは確認できた作品もあったけれど(『ど根性ガエル』も、それに含まれていたような気もするけれど...)、初回から最終回までの展開をはっきり記憶できている作品は、数えるほどしかない。ここで、思い出されるままに、作品をいくつかあげてみよう。なお、すべて記憶に頼っているので、作品名、その、漢字/ひらがな/カタカナ表記は原作と違っているかもしれない。あしからず。
 連載漫画のストーリーというのは、小説一般に比べると、出版社側の営業上の意向が強く反映されやすいように思う。それゆえ、主人公が代わってしまったり(私が記憶しているものでは『トイレット博士』)して、初回から最終回に至るストーリーが不自然になるものもある。このことが、なおさら、記憶を困難にしていうるものと思う。
 なお、上記に反して初回と最終回をはっきり覚えている漫画と言えば、『銀河鉄道999』、『男おいどん』、『がきデカ』、『巨人の星』といったところだろうか。『銀河鉄道999』は、TVアニメの最終回がいちばん感動的だった。『男おいどん』は、連載の最終回のほかに、SF風の特別編があり、こちらは、各所に伏線がはられていて、読者を引き込む大作であった。
まごちゃんは、ついに50歳。77g。


971027(月)
[生活]京都のおもひで
きょうは、まずこちらの記念すべき画像から。画像ファイルの名前にあるように、10月27日18時16分前後に到達したもの。
 今日は朝から冷たい風が吹き、しぐれることもあった。大山では雪が積もったという。昨日蒜山に行った学生によれば、あちらのほうは紅葉はもう終わりに近づき、週末までは持たないだろうという話だった。この紅葉、吉備高原ではこれからが本番となる。大学構内の銀杏も、まもなく黄金色に染まる。
 さて、紅葉と言えば京都の庭園にまさる景色はない。古典を読みふけりながら秋深まる古都に思いを寄せる日記作家もさぞかし多いだろうと思って新作200のリストを見ると、あったあった。もっとも、この季節に京都の思い出を語るのはさぞかし繊細でとぎすまされた感覚をお持ちの方かと思えば、なんと、「お気軽日記」の古川さん(10/25,10/26)、「BOWDO」の夜久さん(10/27)、「よろずや談義」の藤間さん(10/26)、という論客ぞろいであるから恐れ入ったものだ。当然、といっては失礼だが、古都の庭園の話はあんまりまったく出てこない。代わりに、「京一会館」、「祇園会館」、「西部講堂」、...うーむ、私にとっても馴染みの場所であることには違いないが、古都の風情はあんまり感じられない場所だなあ。で、なんで、この季節に「京一会館」が出てくるのかと思ったが、古川さんの10/25の日記によれば、
おそらデジタル・ガロに川崎ゆきお氏の原画展の案内があったのを見てからだと気づいた。潜在意識が活性化されている状態の中で、ある歌詞を見て蘇ってきた思い出とシナプスが繋がり過去の記憶が浮上してきたのだと勝手な解釈をしている。
 そうか、別に秋の深まりが発端ではなくて、「潜在意識が活性化されたことによるシナプス結合」が「京都の思い出」を蘇らせたのであったようだ。

 とはいえ、せっかく京都のことが話題になった以上、私としても、多少は思い出にふけってみたくなった。まずは、私の公用HPに掲載されている京都の写真を2枚ほどご紹介したい。1つは、紅葉の美しい高桐院の庭、もう1つは、大雪の金閣寺の写真。いずれも、それぞれのページに説明があるので、御覧いただければ幸い。
 上にリンクした高桐院は紅葉の季節、金閣寺は大雪の時に特別の景観がながめられるところである。これに対して、いつ訪れても素晴らしいところを挙げるとすれば、比叡山を借景にした円通寺、正伝寺であろう。京都に住んでいた頃に、何度か、この2つのお寺を紹介したことがあったが、みな、お世辞抜きで感動してくれた。ただし、2つ同時に行くと、後から行ったほうでがっかりするかもしれない。どちらか1つというならば円通寺のほうがスケールが大きいが、本当の穴場と言えば正伝寺のほうだろう(もっとも10年以上訪れたことがないので、もし希望される場合は、最新情報を入手されたい。
 京都にはかれこれ15年住んでいたが、寺院を訪れることは滅多になかった。生活の思い出を語るということになれば、たしかに、上記の映画館などのほうが懐かしく感じられるところがある。もっとも、私は、高校の頃に東京渋谷の近辺で映画を観すぎた反動で、大学に入ってからは年に数回しか映画を観なかった。
 これに代わる生活の思い出と言えば、銭湯とラーメン屋だろうか。京都は学生が多いので、どの町内にも銭湯があった。湯船だけの質素なところが多い左京区内の銭湯と比べると、北区内には、サウナ付き(風呂代は同じ)の豪華な銭湯があって、自転車で片道30分もかけて好みの所に行ったものだ。「紫野温泉」という名前だったと思うが、この銭湯には、サウナのほかに、ミスト風呂、「人間洗濯機」など、健康ランドなみの設備があった。船岡温泉は、日露戦争か何かを描いた透かし彫りと、温泉旅館なみの浴槽が魅力であった。ラーメン屋は、大徳寺近くにあった「大徳」、「敦煌」、大学周辺では、「天一」、「らんたんラーメン」など。大部分は、いまでは別の店に変わってしまっている。
まごちゃんは49歳、77g。


971026(日)
[電脳]「一太郎」の要約機能でおもふこと(続き)
 週末を利用して、「一太郎」による日記要約事例集(期間限定)を作ってみたが、そもそもこの企画の発端は、「一太郎」のこの機能が、研究論文の要約に使えるものかどうかを確かめることにあった。そこで、今回は、例文を使って「実験」を試みることにした。

 本稿は、1が一番小さくて、2がその次に小さく、3が3番目に小さいということを論じることを目的とする。目的は目的だ。方法は方法だ。結果は結果だ。
 第一に、1は、1である。1はいちであり、ワンだ。ワンと啼くのはイヌだ。イヌはバウワウとも啼くが、泣くことはない。
 第二に、2は1+1である。庭には二羽にわニワトリがいるのだ。裏庭にも二羽ニワトリがいるぞ。
 第三に、3は2+1である。3はみっつで、みんなのみっつだ。「ミ」もみんなの「ミ」だ。
 よって、1はいちばん小さく、2はその次に小さく、3は3番目に小さいということが明らかになった。結論は1が1ばん小さいということだ。

 以前にも書いたように、わかりやすい文章の基本は
「1話題1段落」「段落の最初の文にはトピック文を」にある。これさえ守れば、1番目の段落と最後の段落の全文、および各段落の1行目だけを抜き出せば立派な要約文ができるはずでソフトなど不要。
 例にあげた文章は、支離滅裂で整合性に欠けるものの、上記の原則を守って書かれてある。つまり、下線部だけを抜き書きすれば要約文になる仕組みである。で、じっさいの「一太郎」の要約結果(38%)は、以下のようになった。
本稿は、1が一番小さくて、2がその次に小さく、3が3番目に小さいということを論じることを目的とする。目的は目的だ。方法は方法だ。結果は結果だ。庭には二羽にわニワトリがいるのだ。「ミ」もみんなの「ミ」だ。
 この要約は、各段落のリードを含めていないので、あまり上等の要約にはなっていない。その理由を考えてみるが、9月10日のスクラップブックで引用した記事によれば、「まず文章中に含まれる名詞を出現頻度順に並べ、順位の高い名詞を含む文を中心として、『た』で終わる確定した事実を示す文、書き出しや結び近くにある文などを抜き出す。」という方略が影響を及ぼしている可能性がありうる。そこで、今度は次のような例文を考えてみる。
これは要約のテストです。 犬はいぬだ。 猫はネコでネコだ。 鰐はワニでワニでワニだ。 白熊はシロクマでシロクマでシロクマでシロクマだ。 猿はサルだ。
これを要約すると、予想通りの結果になった。 要するに、シロクマ、ワニ、ネコという語句の出現頻度が重要度を決定していることが証明される。時間がなくなってきたので、この続きは、次回以降ということで。
まごちゃんは、48歳77g。多少ダイエットに成功。


971025(土)
[生活]床屋/町内会の祭り)
 朝、2カ月ぶりに床屋に行った。順番待ちの先客が2人。理髪師が4人だったので、すぐにまわってくるかと思ったが、40分以上待たされてしまった。
 そのあいだに、週刊誌を何冊も読む。週刊誌というと、こういう待合いの席とか、新幹線の中でしか読む機会がないが、なかなかタメになることが書いてあるものだ。記憶に残っているものとしては、  夕刻に町内会の「だんじり」祭りがあった。この祭りでは、6年生がみこしを担ぎ、1年から5年は提灯を持ったり、だんじりを引いたりして町内を練り歩くことになっている。今年は息子が6年生なので、晴れ舞台ということもあり、パパラッチよろしくカメラとビデオをもって行進に加わった。
まごちゃんは、今日は冬眠解除をしなかったので、変化なし。


971024(金)
[生活]睡眠不足の原因
 今日はいつもの5:30には起きられず、めずらしく子どものセットした6:00のアラームで目が覚めた。原因は、明け方の騒動にある。
 私が住んでいるところは、アパートの4階で、南には岡山市内から遠く金甲山まで、東には岡大の農場が広がる眺めのよいところなのだが、なぜか蚊が出るという欠点がある。それも夏だけではない。おそらく1、2月の2ヶ月を除けば、1年中蚊が出るという妙な現象が起こっている。今日の睡眠不足も、夜中に蚊に刺されて目が覚め、何とか退治しようと頑張ったことが発端となっている。
 で、この蚊なのだが、図鑑で調べた限りでは、「アカイエカ」か「チカエイカ」の仲間ではないかと思う。もともと成虫で冬を越す種類らしいが、これはちょっと異常だ。東京に住んでいたころの記憶では、蚊が出現するのは5月下旬頃から10月下旬までに限られていたように記憶している。
 それにしても、しつこい蚊だ。そもそも、わざわざ4階まで上がってくるのがしつこい。しかも、私のところは、網戸も完備していており、寝るときは、今どき骨董的価値のある「蚊帳」をつっているのだ(喉が痛くなるので、蚊取り線香や液体蒸散型の蚊取り器は使わない)。しつこい蚊は、まず4階まで上がり、階段側のドアや、ベランダ側の窓が開いたすきに室内に入り込む。そして、夜中に、蚊帳と布団との隙間から、蚊帳の中まで入り込んで、寝静まった2時、3時頃から人を刺すのである。これでは、たまったものではない。『おしゃれ泥棒』という映画で、ブーメランを使って防犯装置サイレンを繰り返し鳴らすという心理戦を使う場面があったけれど、夜中に出現もこれと同様に迷惑千万である。
 蚊が蚊帳の中にいるらしいということに気づくと、室内の蛍光灯をつけて、退治を試みるわけだが、閉じた空間の中とはいえ、蚊もなかなか姿を現さない。今朝の場合は、蚊を探している間に、右肩のあたりも更に一箇所刺されてしまった。最終的には、じっとしていて脚を刺しにきたところでパチンと退治する。
 さて、蚊の騒動でバタバタしていると、こんどは妻が目を覚ます。妻は寝つきがよいのに寝起きが悪く、眠りに入った後はよく寝るタイプのほうなのだが、いったん目が覚めるとなかなか寝られなくなるそうだ。そこで、さっそく世間話を始める。
ねえ、聞いてよ。Aさんがいない場所で、BさんがAさんの悪口を言ったんだって。それをCさんがAさんに告げ口したものだからAさんは怒って、Bさんに文句を言おうとおもって電話をかけようとしたんだけれど、電話番号が分からなかったのでDさんに電話して聞こうと思ったら、DさんがAさんに、.....
という感じで長々と続く。で、私の方はいつの間にか寝てしまうわけだが、翌朝になると妻の機嫌が悪い。「今朝の私の話を真剣に聞いてくれなかった」というのが腹立ちの原因である。そこで少しでも機嫌をとろうと、妻の話の内容を一生懸命思い出してみるが、こういうややこしい話を再生することは非常に難しい。
要するに、あなたの周囲には、本人のいない所で悪口を言う人と、それを告げ口する人と、陰口に腹を立てて抗議の電話をかける人がいるということだなあ。
こう要約してみるのだが、これだけでは具体性がないので、許してもらえない。夫婦の対話は難しいものだ。いっそのこと、妻にWeb日記を書いてもらい、きのう話題にした「要約機能」で要約したものを私に伝えてもらえばよいのだが...なんて思ってみたりする。
まごちゃんは47歳。81g。冬眠設定を忘れてしまって、朝9時すぎにピーピー言い出した。妻が餌とお菓子で救出してくれたので、事なきをえた。例によって、妻はお菓子で「ごきげん」を補充するので、体重が大幅に増加。冬眠設定を忘れたのはこれで3回目だが、奇跡的に生き延びている。きのうの日記要約事例集の改訂版はこちらにあります。


971023(木)
[電脳]「一太郎」の要約機能でおもふこと
 きょうは、月曜日(10/20)の続きとして「一太郎」の要約機能について書こうと思う。9/10のスクラップブックにも紹介したように、最近のワープロソフトには、長い文章を短時間に要約する機能が標準装備される傾向にあるらしい。マイクロソフトの「ワード97」に押され気味のジャストシステムとしても、対応せざるをえなかったのだろう。
 スクラップブックには
小説や詩は別として、わかりやすい報告文の基本は、「1話題1段落」「段落の最初の文にはトピック文を」にある。これさえ守れば、1番目の段落と最後の段落の全文、および各段落の1行目だけを抜き出せば立派な要約文ができるはずでソフトなど不要。逆に言えば、要約ソフトではうまく要約できない文章はヘタな文章ということになるだろう。余談だが、Web日記などは要約しても面白くなくなるだけだろう。
と書いたが、この時点ではまだOffice8は届いていなかった。本日初めて、これを試してみたいと思う。そこで、まず、私の日記の中で、比較的論文調になっているものとして、10月1日の「因果モデルと科学的法則(2)」を9%に要約してみた。しかし、結果は期待はずれで、前半はともかく、最後の2文は何のことかよく分からない内容になってしまった。
先日の日本心理学会年次大会の時に、豊田秀樹氏が面白い例を出していた(豊田, 1997, 「共分散構造分析による因果モデルとは何か---実験的研究と相関的研究の相違を中心に---」)。 もし「農夫は自分を食べるために餌を与えている」という本当の因果モデルがあれば、毎日の現象と絞め殺される現象の両方を説明することができるが、賢いニワトリがいて毎日ケージの中で「農夫が近づく」ことと「餌が与えられる」関係について詳細なデータを収集しても、「本当の因果モデル」にいきつくことはとうていできない。 そこで、「因果モデルは要請の範囲で構成される」という豊田氏の主張が意味をもってくる。 それは、「大学入学以前にいじめられた経験」と「大学生活における悲観的な物の見方」との間に因果関係があるか否かという調査研究である。 要するに、これも「因果モデルは要請の範囲で構成される」ということの実例になっているのだ。

 そこで、もういっちょうと、9月16日のオフミに参加できない私を10%に要約してみるが、これも期待に反してひどいものになった。
なかでも、東京の銀座近辺で開かれた某女史関連のオフミは、数人の日記作家の報告を拝見すると、すさまじいものだったらしい。 「日記界」には「わかば」や「喫煙」を冠した日記名もあるので、ここでは強硬な禁煙キャンペーンは控えることにしておくが、この問題に限っては、9/22いっぱいで、日記猿人の登録をやめる予定の方と意見が一致しそうな気がする。 まずは、ラウンドテーブルディスカッション「Web日記を書くことで人生はどう変わったか?」...。「座禅体験をしながらWeb日記を語る会」。
これでは、何をいいたいのかさっぱり分からない。どうも私の文章は、分かりやすい構造にはなっていないようだ。反省反省。
 で、ついでながら、日記作家の方の文章はどうだろうか。試しに、何人かの方の最近の文章の中で、比較的長めでテーマが定まっていると思われるものを要約させてもらった。こちらに示す(期間限定)。予想通り、日記というものは要約には向いていないようだ。今回試してみた限りでは、うまく要約できたと思われるのは『わたしのにっき』さんだけだった。なお、この別ページに掲載した要約については、各作者の方から事前の了承をいただいていない。削除要請にはいつでも応じますので、どうかご容赦を。
まごちゃんは46歳。68g。


971022(水)
[生活]年休をとってみたものの
 きょうは大学の開学記念日で、授業はすべて休講であった。教職員は平常通りの勤務で何ら特別の行事があるわけではないが、午後半日分だけ年次休暇をとって、のんびり過ごすことにした。

 家に帰って、妻とテレビを見ながら少し遅めの昼食をとる。NHKの「スタジオパーク」という番組で三田佳子さんが登場していた。俳優になったいきさつ、芸名が「三田」になった理由(何でも、慶應大が好きだと答えたところから決まったそうだ)、闘病生活のことなどを語っておられた。私はもともとTVドラマや演劇を殆ど見ないので、三田さんがどういう方なのかはよくわからない(唯一記憶に残っているのは『漂流教室』の母親役)。しかし、その話しぶりは視聴者をひきつけるものがあった。
 番組が終わってから、三田さんのことを妻と話したところで、重大な意見の相違が生じた。私は「三田佳子」さんは「みた・よしこ」と発音するのだと思っていたが、妻は「みた・けいこ」だと言う。いや、そんなはずはないと思うのだが、あまり自信がない。妻が、奥さん連中は皆「みた・けいこ」と言っていると主張するので、ますます自信がなくなってきた。でも、やっぱり私は「みた・よしこ」だと思うのだが...(本名も確か「嘉子」で同じ発音だと言っていたようだし)。
 そのあと、息子の誕生祝いを買いに、夫婦でダイエーまで行ってみるが、何と定休日。さらに岡山COOPまでが休業日だった。きょうのWeb日記には「はさまれて・・・」なんていう1行コメントがあったり、実際に挟まれて『指にケガをした』気の毒な方もおられたようだが、私自身の場合は、どうやら「休まれて・・・」という凶相があった模様だ。
 誕生祝いのほうは、けっきょく家電量販店で買うことになった。最初は、英語の発音機能のついた電子辞書などよいかと思ったが、これはと思うものが見つからなかった。けっきょく、あまり安くなかったが「テーマパーク」というシミュレーション型のゲームソフトと、囲碁と麻雀のソフト(これはたぶん私が遊ぶため)を買うことになった。
 買い物が終わって家に戻ってみるが、たまっている仕事のことを思うと、ゆったりとした気分にはなれない。けっきょく、夕刻は研究室に戻って、シコシコと仕事に精を出す。どうも私は、余暇をゆっくりと楽しめる性分ではなさそうだ。
私の場合、「自分の時間があるか?」と聞かれれば、論文を書くのも授業をするのも「自分の時間」に含まれるので、殆どが「自分の時間」ということになる。では、「自分の時間がたっぷりあるか」と言われれば、全くない。仕事の量が変わらなければ、年休などとってみても何のゆとりにもならない。むしろ、休日でも正月でも、少しでも仕事を片づけたほうが、精神的なゆとりがうまれる、という矛盾をかかえている。

まごちゃんは45歳、68g。

971021(火)
[国語]日記猿人の「ヘソ」通過/mailはメールかメイルか
最近ふたたび、新しい日記の登録が増えてきた。本日1051番までの登録の時点で、現存日記数は911本をかぞえる(管理者用2本を除く)。ここで念のため調べてみたら、ちょうど真ん中の番号は569番であることがわかった(離脱した日記があるので、1051÷2とはならない)。10月13日の時点では、登録日記番号は1034番、日記数895であり、この時点での真ん中の番号は、561番であった。私が3月26日に登録した565番の「彗星日記」(現在は、「仕事中に書く日記」)と566番の「スクラップブック」は、この1週間の間に、日記猿人の「ヘソ」を通過して、番号の中央値より古い日記の仲間入りをしたことになる。ということは、現存する日記の過半数は、今年の3月末以降に登録された日記であるという意味だ。これをどうとるか。別の機会に考えてみたいと思う。

 「日記界」で、長音符号省略の問題が話題になっているようだ(といっても、話題にしている日記作者は、民草さんとよろずやさんだけか)。発端となった記事(127、128号)をようやく読むことができたが、けっこう根の深い問題があるようだ。今、たまたま、大学の生協のパソコンショップのチラシが手元にある。ここでは、「コンピュータ」「プリンター」「モニター」という表記になっている。「コンピュータ」だけ最後の長音符号が省略されているのは、言われてみれば一貫性に欠けるような気がしてくる。
 もっとも、私自身の表記はどうかと言えば、長音符号は省略される傾向が強いように思う。私の場合「computer」は「kpt」という読みで「漢字登録」してある。実際に「漢字変換」すると、「コンピュータ」となるから、ずっと以前から意識せずにこの表記を使っていた証拠である。これはたぶん、「京都コンピュータ学院」で非常勤講師をしていた時の表記に従ったものではなかろうかと思う。同じ頃だったか、「ヒューマンインタフェース」の学会に入っていたことがあった。これも確か学会の公式の見解として、「インターフェース」ではなく「インタフェース」とするように決まったのではなかったかと記憶している。
 私自身の場合、長いものにまかれる使い方が殆どだが、例外的に、「mail」は「メール」ではなく「メイル」と書くことに決めている。これは、「メール」と書いていると、英語で発音する時まで「めえる」と言ってしまう恐れがありそうなので自戒しているだけのことである(本当の発音は、「メヨ」に近いのではないかと思うが)。同じ理由で、「report」は「レポート」ではなく「リポート」と書く。
 もともといくらカタカナ表記を工夫しても、子音の種類や母音の数が異なる英語を日本語で表せるはずはない。その点では、どういう表記になって、混乱がなければそれでよい、へんてこな審議会の決定に強制されるのは困る、あとは自然淘汰にまかせればよい、というのが私の基本的な考え方だ。ただ、個人的には、そのために英語の発音が妙になるのは困る。1つの表記法があまり定着していない語句については、出来る限り、抵抗してみようかと言う気持ちも、ないわけではない。
 もっとも、「mail」を「メイル」と書くという方針を貫くと、「home page」は「ホウム・ペイジ」、「digital」は「ディジトゥル」のほうがよいということになろうが、そこまで強調するつもりはない。
少数派ながら、「mail」を「メイル」と書く人は私の他にもいる。一例をあげれば「★」さん。ちなみに「★」さんが大好きな某氏は、御自身では「メール」と表記されるようだが、某氏が公開しているファンレターの中には「メイル」と表記されている方がおられるようだ。もっとも滅多に拝見したことはないので、どのぐらいの頻度か分からないが...。

 日本人が「r」と「l」の区別ができないのは、世界的にも有名のようだが、どちらも「ラリルレロ」で表記してしまうことがその一因になっているのではないか、という気がする。たとえば、「フリーマーケット」など、「リー」と表記するものだから、「flea market」を「free market」などと思ってしまうのだ。日頃から別のカタカナ表記にして区別していたら、少しは英語も上達するのではないかと思う。このさい、エル音は通常の「ラリルレロ」、エル音は「ルァ、ルィ、ルゥ、ルェ、ルォ」なんて表記したらよいかなあなどと、思いつきで勝手なことを言ってみたくなる。これでいくと、「ルールを守りましょう」は「ルゥールを守りましょう」、「れっきい」は「ルェッキィ」、「クレジット」は「クルェディット」になる。何となく面白そうだ。
 もうひとつ、「r」と「l」を区別するならば、「b」と「v」も区別しておいたほうがよい。となれば「ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォ」という表記も復活させると面白い。
 念のためことわっておくが、「メイル」や「ルゥール」という表記は、あくまで英語で発音するときに役に立つという実用的な効果だけを期待したものである。そうすべきだと主張しているわけではない。私の基本的な考えは以下のとおりだ。
まごちゃんは、44歳、68g。


971020(月)
[電脳]「一太郎」の周辺でおもふこと
 今朝の岡山は深い霧だった。アパートから外を眺めても、2〜3軒先の屋根までしか見えない。いよいよ秋本番である。秋と言えば、実験室の前のザクロの実に割れ目が入って赤い実が見えるようになってきた。実験室東側には、食べかすの種から育てた秋グミが今年3年目で初めて実をつけた。昨日これらを2〜3個持ち帰ったところ、ちょうど近所からアケビの差入れがあって、これで秋の山の味覚の3点セットが揃った。このうち、いちばん甘いのはザクロ、ややキャラメルの甘さに近いのがアケビ、秋グミはちょっと渋い。この3つに共通しているのは、大部分が種で、その周りのほんのちょっぴりの果実部分を奥歯と舌で削り取るように食べることになる。種なしブドウなんかに比べると至極面倒だ。子供たちも、最初の一口、二口は珍しがって食べただけで見向きもしなくなった。

 さて先週末以来、叢書執筆関連の仕事で、ジャストシステム関連のソフトを再び使うことが多くなった。1つは、「三四郎」。一時期「三四六」なんていう変な名前(「123」への対抗にしては、ちょっと発想が貧弱だと思っていたが何か商標のトラブルでもあったのだろうか)に変えていたようだが、今回Office8についてきたものは、なかなか使い勝手がよい。大きさや図属性の変更も前より楽になったし、いろんなグラフが用意されている。出版原稿用のグラフ作成にはもってこいだ。
この「三四郎」だが、作図された折れ線グラフをコピーして、他の作画ソフトに貼り付けると、「点」がとんでもない場所に飛んでしまう。これってバグなのだろうか?(もし、同じ症状を発見された方がおられたら長谷川までメイルをください)。

 私の場合、さいきんは図表はもっぱらGIFファイルで保存し、原図の写真製版ではなく印刷屋さんが直接画像ファイルから印刷にまわせるように依頼することが多くなった。文書のほうももちろん、HTML形式である。この方式の便利な点は、同じファイルを、印刷用にもHP用にも作成できる点にある。
 これに馴れてしまってからは、ワープロソフトを使うことがめったになくなった。三四郎で作成したグラフも最終的には別の作画ソフトで加工してGIFファイルとして使っている。ワープロ文書に組み込むことはない。授業中に配布する資料も、図版入りのものはHTML形式の文書にすることが多くなってきた。
 そんなわけで、文書作成は、軽くて大容量のファイルが同時にたくさん開けるエディタソフト(私の場合は「Mifes」)を使う機会がふえ、「一太郎」本体はほとんど使わなくなってしまったが、先日たまたま、HTML文書を「一太郎」で読みこんでみたところ、表などは、ほぼ元の形で表示され、文書間のリンクもそのまま使えることがわかった。
 これも驚いたのだが、「一太郎」で作成した文書を「HTML形式で保存」してみると、けっこう思い通りのHTML文書ができあがっていることがわかった。ver7の時に比べると格段の進歩である。ver8の時から改善されていたのか、Office8で改善されたのか、私は、マニュアルとかパソコン誌の記事をほとんど読まないので定かではない。少し前に、HTMLエディタのことが「日記界」でも話題になったように記憶しているが、この「一太郎」だけでも、たいがいのHPは作成できるのではないかと思う。
 こうして考えてみると、私の知らないうちに、ワープロソフトもずいぶんとホームページ作成機能を重視するようになってきたなあという気がする。初めにも書いたが、私個人としては、HP作成用と印刷用に2種類の文書ファイルを作るなど面倒でできない。で、どちらをとるかと言えば、とうぜんHTML型になる。
 HP公開を目的としたHTML文書は、リンク機能、ウィンドウ機能など、印刷を目的としたワープロ文書とはさまざまな点で異なるが、私がいちばん違うと感じるのは、読み手側の自由度が遙かに大きいという点である。周知のように、HTML型の文書は、特別の指定をしない限り、読み手側のブラウザの窓の大きさに応じて1行の文字数が変わる。基本的なフォントの種類やサイズは、指定をしない限りは読み手が自由に変更できる。もともと、文書は人に読んで書くということを考えると、この発想は大切なことであると思う。文書にもいろいろあるので一概には言えないが、私が書くような論文類は、人に読んでもらえなければ殆ど存在価値がないので、今後ともHTML志向が基本になるものと思う。
まごちゃんは、43歳、68g。最近は3分程度しか冬眠解除していないため、まったくウンチをしていない。


971019(日)
[社会]古本屋で見つけたもの
 「餃子の王将」で夕食をとったあと、家族全員で「古本市場」という古本屋に行った。妻が少女漫画本に熱中している間、私の方は100円均一コーナーで「掘り出し物」を探す。今回見つけたものは、『真説 ノストラダムスの大予言』(加治木義博著)と『英文対照 天声人語 '77春』であった。
 ノストラダムスというと、五島勉氏の本が有名であるが、今日買ったのはその誤りを正すという内容らしい。まだよく読んでいないが、いずれにせよ心理学の授業ネタに使えそうである。私は予言や占いは一切信じないが、どうやって読者を納得させるのかという話術に関心があり、かなりのコレクションがある。たまに言及する「血液型性格判断」本、富士山噴火説、1980年代に出版された10年後の予想などだ。1999年の世界崩壊を訴えた本もいまのうちに買っておき、崩壊しなかった時に著者たちがどういう態度をとるのか、その追求材料にしたいと思っている。
 もうひとつの77年版の『天声人語』。当時、私は大学院の修士課程で、修論の実験で一日26時間サイクルの生活をしていた時期だった。あのころいったい何があったのかと、目次を眺めてみると、 などという見出しが目についた。「Web日記界」の平均年齢はたぶん20代後半から30歳前後ではないかと思うので、この言葉だけ見て内容が浮かぶ人は、そうたくさんはおられないのではないかと思う。
 最初の米新大統領というのは、ここではカーター大統領のことをいう。人権外交とモスクワオリンピックボイコットが記憶に残っているが、むしろ、最近の「カーター特使」としての活躍のほうが功績が大きいような気がしている。
 「よっしゃ」のかけ声をかけたのはもちろん田中角栄氏であった。「よっしゃ」は英語では単に“Okay”が訳語としてあてられていた。この事件もずいぶん昔の話になってしまったと思っていたが、最近、佐藤孝行氏の入閣問題で再度クローズアップされてしまった。
 2月の鬼頭(きとう)氏に絡む事件は、まったく謎のままに終わってしまった。鬼頭氏というのは、当時の判事補で、宮本顕治氏の身分帳事件とやらで騒動をまきおこした人である。確か、検事総長の名前を語って、網走刑務所所長に電話をし、その内容を録音して間接的に公開した。判事補の職務に基づいて網走刑務所で入手した宮本身分帳資料が、なぜか春日一幸・民社党委員長に流れたということで、なにやら、政治の裏の世界のつながりがとりざたされたが、結局、背後の人物などの正体が解明されないままに、本人の罷免で幕を閉じた。“日記猿人界”で起こった、他人のコンテンツをその本人に無断で日記猿人に登録した事件、アンケートの不正投票事件、ごく最近の未亡人関連の事件など、何となく鬼頭氏の手口に類似したところがあるように思えてならない。
 最後の「主演:江田」の江田氏とは江田三郎氏のことである。当時の社会党委員長は成田知巳氏であり、江田氏は結局党を離れたのではなかったかと記憶している。いまから考えると、村山富市氏のほうが江田氏よりずっと保守的であった。あの当時は「社公民路線」ということも言われていたが、政治の流れがこういう形になろうとは予想できなかった。

 以上、今日の話題は20年前の昔話になってしまった。「18×2歳未満はおことわり」という1行コメントでも出してみるか、と思ったが、思わせぶりのコメントは私の趣味ではないので、ひかえめなものにとどめておこう。
まごちゃんは、42歳、69g。


971018(土)
[心理]シュミの起源
 きょうは、たまたま第四土曜の代休日で休みになった息子と一緒に、瀬戸内海の本島(香川県)で行われた「つり大会」に参加した。参加者の内訳を見てみると、農学部教官が7家族、文学部が4家族、医学部1家族ということで、主催者の農学部が多いのはとうぜんとして、なぜか、文学部が第二位の参加数を誇っている。文学部の教官がそれほどヒマというわけでもないはずなんだが、たぶん普段は研究室に籠もる人が多いので、逆にアウトドア志向が強いのかと思う。
 で、結果はどうだったかというと、第一位の人が32匹つり上げたのは素晴らしいとして、あとは、タコ一匹だけとか、フグばかりとか、あまり芳しい釣果はあげられなかった。私は息子と一緒に、投げ釣りや浮きを使った釣りに挑戦したが、一匹もかからない。そのうち、浮きで餌を垂らしている時に小さなカワハギが寄ってきたので、持参の網を振り回し、結果的に4匹をすくい上げることに成功した。この釣果は、第5-7位にランキングされ、釣り用の帽子などの賞品をもらった。釣果より獲得した賞品のほうが豪華であるという皮肉な結果に終わった。

 さて、釣りの話題が出たついでに、「趣味の起源」について考えてみたい。よく、「その人に合った趣味」などと言われるが、趣味に適性などというものはないというのが私の主張である。
 趣味が形成されるプロセスには3つの段階がある。1つは、それをするきっかけ。第2に、初期の強化、第3が、その行動を維持する強化随伴性の継続性である。

 第1の「きっかけ」は、親や兄弟や友人の影響を強く受ける。例えばスキーの場合など、子供が小さい時からスキー場に行く機会があるかどうかということは、親がスキーの趣味があるかどうかに全面的に依存する。子供の時からスキーを始めればそれだけ上達が速いから、将来スキーを趣味とする可能性が高まるだろう。上記の釣りもそうだし、キャンプ、山登り、スキューバダイビング、その他、一般のスポーツも周囲の人たちから「きっかけ」がないとなかなか始められない趣味であろう。

 第2の「初期の強化」とは、やりはじめた時にうまくいったか失敗したかという要因である。これは意外に気づかれないように思う。例えば、上に書いた「釣り」であるが、私は今のところ、「釣り」を趣味としていない。これは釣果が芳しくないことが大きく影響している。じっさい、釣りをするのは、今回が3度目にすぎない。2度目は、昨年行われた同じ大会で、この時は、キス2匹という釣果に終わった。また、はっきりしないのだが、大学の3回生のころに、淡路島のユースホステルで、ペアレントと一緒にアジ釣りに挑戦したのが最初であったと記憶している。その時は、何度か糸は引いたのだが、餌だけ食われてしまい結局1匹も釣れなかった。もし、1回目、2回目の時に、大量の釣果があれば、きっと釣りの趣味に熱中したことだろう。
私の場合、上記の「釣り」とは好対照であったのがパチンコである。大学1回生のころ、同じ下宿の友人に連れられて初めてパチンコ屋に行った時、確か500-600円ほど勝ってしまった。これがきっかけで、やみつきになり、特に4回生の頃は、卒論の実験が終わってからのストレス解消に毎日のように通ったものである。

 私の妻にも面白いエピソードがある。幼稚園の頃、ピアノを習おうとして、初めて某先生のところに行った。この先生は、髪の長いヒステリックな感じの若い女性であったということだが、妻が先生の前でドレミファを弾いたところ、いきなり「なんでこんなことがわからないのよお」とひどく怒られた。そのショックで、二度とピアノを習おうとは思わなくなったそうである。もしこのとき、「Mちゃん、なんて上手なんでしょう。天才ねえ。」なんておだてられたら、「乙女の祈り」ぐらいは弾けるようになっていたかもしれない。
 私が小学校の頃は、友達と将棋を指して遊んだものだが、うちの息子はなかなかそれが趣味にならない。その一因は、覚えたての頃に、私が負けてやらなかったことにあるかもしれない。将棋は、ある程度勝てるようにならないと面白くないはずだが、私は、王様だけ(飛角金銀桂馬香車歩落ち)で真剣に相手をして、息子に勝ってしまった。これが2、3回続いたもので、もはや私に「将棋をやろう」とは言わなった。
 この第2の要因は、マイナスに働いた時にしばしば「この趣味は自分には向いていない」というように解釈されがちである。実際には、偶然的な失敗の場合も多いだろうし、最初からレベルをあげすぎて失敗することもある。「向いていない」と即断する前に、レベルをさげて再挑戦してみることもよいかもしれない。

 第3に、趣味が長続きするには、それを支える環境要因が整っていることが必要だ。ペットを飼う趣味があっても、アパート暮らしでペット禁止の規定があれば飼うことはできない。野球の趣味があっても、職場や近所にチームがなかったり、グラウンドが利用できなければ、続けることができない。それから、競合する2つの趣味を両立させることはできない。例えば、アウトドア型の趣味をもつ人は、ペット(特に小鳥類)や観葉植物(特に温室植物)の趣味をもつことが難しい。外出中の世話ができないからである。

 以上、思いつくままに書いてみたが、趣味というものは、周りに迷惑を及ぼさず、没頭して仕事に支障をきたさない限りは、どんなものでもかまわない(現実には、しばしば支障をきたす場合が多いけれど)。あまり、固定的に考えずに、うえにかかげた3つの要因に照らし合わせて、さらに熱中するのもよいし、見直しの上で新たなレパートリーを増やすのもよいかと思う。
まごちゃんは、41歳、69g。


971017(金)
[天文]土星2題
 このところ、朝も夕も、空が澄んで美しい。今朝は6時過ぎに真っ赤な太陽を、夕食後の19時過ぎには東の空に満月直後のまんまるい月を見ることができた。
 いわゆるヘールボップバブルの崩壊というやつだろうが、彗星が去ってから、夜空を眺めることが、すっかりなくなってしまった。いまの時期、夕刻に、西の空と南の空に明るい星が見えるが、子供に聞かれてもさっぱり分からない。天文年鑑で調べて、西の空にあるのが金星、真南にあるのは木星、東南の空は土星であるということがやっとわかった次第である。
 ところで、その土星について、この数日以内に2つほど話題があった。
 1つは、昨日10/16の未明の土星食である。土星がどこにあるのかも知らなかったぐらいだから、とうぜん土星食の話など知る由もない。17日の朝日新聞一面の写真を見て、そう言えば前にそんなことを読んだなあ、とやっと思いだしたほどである。
 もっとも、この惑星食というのは、彗星や日食に比べるとあまり面白い現象ではない。惑星が月の裏側に隠れるだけであるから、食の最中は、惑星は見えない。つまり、ふだん月を眺めているのと何ら変わらない状態なのである。それゆえ惑星食を観測するというのは、食の最中ではなくて、惑星が月に隠れる瞬間と、裏側から出てくる瞬間をとらえることを観測するという意味になる。この場合、月の暗縁側(肉眼では欠けて見える部分)であれば面白いが、明縁側では月の明るさに負けてしまって、正確な時刻測定は難しいと言われている。ところが、今回の惑星食は、月齢14.1の満月を相手に起こるものだから、潜入も出現も明縁部で生じる。この点でも、平日に無理して眺めるほどの価値はなかったように思われる(と書くのは、いわゆる「酸っぱいブドウ」行動か???)。
 こういう、冷めた見方は、天文ファンのあいだでもあったようで、。私が、「裏日記」でリンクさせていただいている、この方など、何と、土星食の始まりも終わりも寝過ごして観測できなかったと書いておられる。なにしろ平日の3:41という時間の出来事である。徹夜で日記執筆に情熱を燃やしている人ならいざ知らず、この時間に目を覚まして惑星食を観察するのは並大抵のことではできない。
 10/17の朝日新聞一面には、この土星食が23年ぶりと書かれてあったが、何が23年ぶりなのかよくわからない(阪神タイガースの優勝ではあるまいし)。天文年鑑の97年版によれば、今年1年間に起こる惑星食は、水星2回、金星1回、火星1回であるのに対して、土星は何と10回もあり、そのうち2回は日本で見られるというから、それほど珍しい現象であるとは思われない。おそらく、満月に土星食が起こるのが23年ぶりということを言いたいのだろう。

 土星と言えば、もうひとつ、NASAの土星探査機カッシニが10月15日の17時43分(日本時間)、アメリカのケープカナベラル空軍基地からの打ち上げに無事成功したそうだ。 カッシニは、電力源の1つにプルトニウムを使っていることから環境団体などが打ち上げに反対したため、ホワイトハウスの科学技術政策局から正式な打ち上げのゴーサインが出たのは、打ち上げ1週間前になってからであったという。
 このニュースは、特にプロトニウム搭載についての報道は、少なくとも朝日新聞岡山版では取り上げられた記憶がない。民放テレビのニュースでも、打ち上げ場面と、上記程度の原稿の読み上げをするにとどまった。そのため、現時点では、プロトニウム搭載の是非についてコメントするわけにはいかない。一般的に、宇宙探査に核燃料を用いることは好ましくないと思うが、もともと太陽そのものが巨大な核燃料であり莫大な放射線を発していることを考えると、宇宙空間で人工的な核燃料がどのていど放射能汚染を引き起こすものかどうかは疑問である。環境団体の反対は、打ち上げの失敗時の汚染を心配したものであったのか、それとも原則論としてあらゆる核燃料の利用に反対したものであったのか、現時点では資料がない。
 なお、土星探査機については、こちらに詳しい情報がある。(Topページは、こちら)。このアストロアーツのニュースには、このプロジェクトに関するNASAの公式ページも紹介されている。
まごちゃんは、40歳、70g。冬眠解除を忘れたので、昨日と同じ年齢のまま。


971016(木)
[自然]ヒマラヤの青いケシの花
 きょうの「TVチャンピオン」は「和菓子職人選手権」であった。5回目3連覇をなしとげた高橋弘光さんの作品に、私自身の山登りを想い出させるもの2つも出てきた。
 1つは、決勝戦で、背後に見えていた金時山である。これは、私が中学生の時、初めて単独で登った山である。山そのものにはそれほどの思い出はなかったが、それがきっかけとなって、丹沢山系や武甲山、浅間山というように単独登山を好むようになり、これが高じて、ヒマラヤトレッキングやキリマンジャロ登山まで挑戦するようになった。金時山は、そうした登山の第一歩を踏み出した山であったのだ。
 もう1つは、1回戦の「和菓子ガーデニング」の作品に登場した「ヒマラヤの青いケシの花」である。前にも書いたように、私たちの「新婚旅行」は、インドヒマラヤ、ラダックの南側のザンスカール地方の交易路を通るトレッキングであった。最初の2日ほどは、トラックで4000メートル級の峠を2つ超えて、インド領内のチベット高原に入る。そこから約1週間かかって、5090メートルのシンゴラ峠を越えて、インド側の村まで歩くというものであった。1日20km以上の行程は、平地ならともかく、3500メートル以上の高地では高山病がでてくる。相当にきついコースであった。
 さいしょのうちは、こういう乾燥した山岳地帯(84KB)を歩く。そのうちにこういう雪山(111KB)が見えてくる。正面に連なる雪山の峠を越えれば、その向こうにインド亜大陸が広がっているのである。
 この旅行は8月に行った。ふつうヒマラヤトレッキングというと、乾期にあたる10月から4月がシーズンであるが、このあたりは今掲載した2枚の写真にもあるように、雨期のまっただ中といっても薄曇りになる程度で、雨に降られたのはごく短時間、1度だけであった。雲がかかって山の頂上まで眺められない日が多いかわりに、この季節には至る所に美しい高山植物が咲く。その代表格が、「青いケシの花」なのだ。
 写真(84KB)は、その中でもいちばん大株で花が多かったものである。日本で販売されている、小型でか弱そうな「青いケシ」とは違って、力強い。面白いことに、同じ株にもかかわらず、上部と下部で、やや色の異なる2種類の花が咲いていた。その理由はよくわからないが、咲き始めと種になる前で色や形が変わってくるのかもしれない。最上部には、すでに種ができている。これだけの種があればさぞかし繁殖力が強そうに見えるが、実際には、コース沿いには、群落は見あたらず、全部で5-6株がとびとびに生えているにすぎなかった。ここまで育つのは奇跡に近い。だからこそ「幻の花」などと言われるのかもしれない。
 最近では品種改良で、園芸店には、やたらけばけばした花が出回っているが、あまりにも人工的で造化のような感じがして好きになれない。大自然の過酷な環境の中で咲く花こそ、美しいものだ。私がこれまでに見た花の中で、これほどまでに気高く美しい花は、ほかにはない。
 なお、上記の掲載写真3枚は期間限定公開で、著作権は長谷川に属します。個人としてセーブしディスクトップ内で使用するのは自由ですが、再配布、再利用、その他、著作権侵害にあたる行為はおことわりします。
まごちゃんは、40歳、73g。


971015(水)
[一般]長時間の会議におもふこと
 きょうは1コマ目(8:40-10:10)が一般教育授業、13:30からの会議は、なんと19:50まで続いた。何度か書いたことがあるが、こんなに長い会議ができるのは大学ぐらいのものであろう。企業がこんなに長い会議ばかりしていたのでは、倒産してしまう。また、いくら倒産の恐れがないといっても、会議が長引けば長引くほど、研究時間が削られるのは物理的に当然である、大学の本来の使命である研究活動を停滞させる一因にもなりかねない。
 こういう問題点を克服するために、大学審議会などでいろんな提案がなされている。1つは、学長や学部長に、いちいち会議の承諾を求めなくてもよいようにもっと強い権限を与えろというものである。ただ、これを極端に推進すると、小学校や中学校の職員会議のようになってしまう。つまり、教授会は、学長や学部長の決定を伝達し徹底をはかる場になってしまう恐れがあるのだ。会議の時間が短縮されることは結構だが、時の政権の御用学者のような人が学長や学部長に選ばれると、予算の配分や人事問題に介入し、学問の自由がゆがめられる恐れがでてくる。
 もうひとつの案は、代議員制の導入であり、すでに一部の部局では導入されているという。ただ、代議員制になっても、発言者の数はそれほど減らないであろうから、代議員に選ばれた人の負担はそれほど軽減されない。町内会の幹事などと同じで、好きで引き受けているわけでもないのに、ちゃんとやらないと文句ばかり言われる。割の合わない仕事だ。
 会議を長引かせる要因の一部は発言者側にも、ある。一般論として、会議の席上では、何かの提案があるたびに必ず自分のコメントを披露する一言居士型、発言回数は少ないがしゃべり出すと5分や10分はとまらない埋没型、大局観がなくもっぱら自分に関係のある部分だけにごだわる局所固執型、議論の文脈とまったく関係なしに自分の手柄話をする自己陶酔型などは、会議を長引かせる大きな原因になる(けっして、きょうの会議のことを言っているわけではない。一般論だ、一般論だ)。議長が、適当に協議を打ち切ったり、長々と話をする人に簡潔な発言を促すということで、ある程度は回避されるが、あまり頻繁に注意をすると「発言の自由を奪うのか」などと紛糾して、逆に時間が長引く原因になってしまう。このあたりは、議長の腕の見せ所と言うことになるが、なかなか難しい。ちなみに、私は発言回数の多いほうから3番目ぐらいだから、一般論ばかり言えない立場にはある。
 大学の会議の目的は、ほとんどの場合、合意形成を目的として行われる。最近では学内LANが普及し、どの階にもイーサネットケーブルが敷設されているので、もっとEメイルやWeb掲示板を利用したらどうかと思う。
 いちど、私が委員長をやっている某委員会で、メイリングリスト形式による討論を提案したことがあったが、この時は「Eメイルアドレスがない」、「メイルをもらっても読むのが面倒だ」など反対があいつぎ、実現しなかった。しかしその後、かなりの研究室にネット接続のパソコンが導入されたようだから、学科によっては、資料の事前配布や、事前の意見調整ができる段階に達している。次に学科幹事がまわってきたときにでも、積極的に推進しようと思っている。
 メイリングリスト形式とは別に、Web日記などに付設されている掲示板方式で協議をするという方法もある。こちらのほうが、発言の順序や関連性が明確になり便利であるような気がする。もちろんクローズドな掲示板になり、匿名発言も許されない。もっとも、匿名発言を無制限に許したら、きっと面白いことになると思う。大学内にもタコ踊り候補者がいるようだし...。
まごちゃんは、39歳、73g。へへへっ。またまた冬眠の設定を忘れてしまった。昼間にピーピー鳴き出したが、幸い、妻が居たので事なきをえた。但し、妻は、お菓子でご機嫌をとるので、体重が大幅に増加してしまった。


971014(火)
[一般]日記の名前/稲刈りの写真
 「れっきいの夏休み?日記帳」さんと「MADE IN JAPAN!あるいは、アメリカ駐在日記」さんが、新しい日記の名前を考案中らしい。かつて「彗星日記」を書いていた私として、これは非常に関心のある話題だ。れっきいさんのほうは、御本人がリアルタイムで登場する某掲示板にて3つほど提案させていただいたので、ここではお節介ながらホリウチさんの日記の名前を考えてみる。  長いことアメリカで暮らしておられると、日本の大都会のごく当たり前の風景が異様に見えてくるのだろう。10/13の通勤時間やラッシュにまつわる話題を興味深く拝見した。このほか、レストランなどでのチップの話、製造物の欠陥に絡む補償問題、非喫煙者保護の問題など、ぜひ、アメリカ帰りの新鮮な目で、現代の日本の都市生活の特色を洗い出してほしいと思う。
 それから、英語の達者なホリウチさんのことだから、ぜひ、和英対訳日記なんていうものもつけてほしいなあ。受験生もみんな読みにくるし。「タコ踊り」は英語では何て言うのかなあ。「日記読み日記」にも適訳があるのだろうか。

 おやっ、もう22時になってしまった。昼に、稲刈りの写真ができたので、期間限定で公開します。スキャナー読み込みに時間がかかったので、今日はこれで、おしまいにしたい。 【期間限定公開は終了しました】
まごちゃんは、38歳、57g。


971013(月)
[生活]こどものとも創刊500号
 「スクラップブック10/12」で、軽くふれたように、福音館書店発行の「こどものとも」が11月号で創刊500号、誕生から41年を迎えるという。この絵本で育った子供が、大人になってふたたび同じ絵本を、自分の子どもたちに与える、こういうことを可能にしただけでも、この絵本はすごい!と思う。
 スクラップブックにも書いたように、創刊号は『ピップとちょうちょう』であった。確かピップが蝶々を捕まえると、急に空が暗くなり、なんで私を捕まえるのというような叫びが聞こえる。それを放してやると、明るい春の野原に戻り、チョウチョウ違いの町長さんに肩車をしてもらって、よかったよかったという形で終わる話ではなかったかと記憶している。この絵本の影響で、私は、昆虫を捕まえて殺すことができなくなった。絵本の影響は大きい。
 私が子供の頃に読んだ絵本は、まだ10冊ほど、保管してある。1958-1961年頃のものが多いので、親に読んでもらったというより、小学校低学年の頃に、自分で読んだ絵本であったようだ。そのうち、絵本自体よりも、裏にある編集者のあとがきを愛読するようになった。例えば、斬新で鮮明な絵が印象的な40号の「きつねとねずみ」には、画家と編集者と印刷所の綿密な計算と協力によってこの絵本が刊行されたことが記されている。小学校高学年になってからは、もっぱら、この「あとがき」を読み返して楽しんだものである。
 この「こどものとも」の一部は傑作集として、今でもハードカバーで刊行されている。復刻版も出たという話を聞いた。もとの絵本は50円(郵送代8円)、私が子どもたちに買った傑作集は500-100円の価格表示になっている。この傑作集、何冊か買っているうちに、どうも子供の頃の絵と違うような気がしてきた。そこで、実家から原本を取り寄せて3冊ほど比較してみたところ、こんな具合であり、表紙そのものの体裁から、絵が変わってしまっている。なぜこんなにも違うのだろうか。私としては、やはり昔の絵の方が感動的である。この画像については、著作権侵害にならぬよう必要最低限の範囲を縮小表示したつもりであるが、念のため、14日に、福音館に報告する予定である。そのさい、絵の内容がどうして変わってしまったのか、何らかの情報が得られればと期待している。
 まごちゃんは、37歳、59g。起床時間はわずか3分。


971012(日)
[一般]「沢庵」という野菜

 岡大キャンパス内の停電のため、次の期間、サーバが停止しました。ご迷惑をおかけしました。
  1997年10月12日(日) 7:00〜10月13日(月) 9:00
 10/10の日記で「動物が現れる日記」をとりあげた。その後いろいろ調べてみると、「日記猿人」の管理でお世話になっている遠藤さんを始め、かなりの人のHPに、猫の写真集へのリンクが貼られていることがわかった。カンカンさんから「猫派はネット好きだと思います」という題名のEメイルをいただいたが、確かに、「猫好きは、インドア派=ネット好き」という図式は当てはまるような気がする。猫ならば膝の上に乗せながらWeb日記を書けるが、犬と散歩しながら日記を書くわけにはいかない。つまり、犬好きの人が日記をかくためには、散歩の時間以外に執筆時間を確保する必要があるというわけだ。そういえば、唯一、犬の話題をとりあげていた278番の日記の方も、少し前までは「大型犬を室内飼育はじめたら・・もぉたーいへん!!」という1行コメントを載せておられた。犬を飼いながら日記を書くためには、室内飼育が必要ということだろうか。
 それから、10/10の時点では、もっぱらペットのことに関心があったため、馬好きの方の日記を含めることをすっかり忘れていた。とりあえず、最新リストでは、それらしき日記を掲げさせていただいたが、調査には2、3日を要する見込み。
 なお、私自身のペットとの関わりについては、9月10日の日記で取り上げているので、お暇な方はどうぞご覧ください。

 夜、テレビ番組『日本人の質問』がらみで、沢庵のことが話題になった。最近は、親でも分からないような知識を仕入れてくる息子であるが、じつは、「沢庵」という野菜が初めからあって、これを畑からとってきて漬け物にすると思い込んでいたことが判明したのである。念のため、妻にも、「沢庵の作り方知っているかい」と聞いてみたら、「畑から沢庵を取ってくるんでしょう」と答えたので、しめしめ、妻も知らないのかと思ったが、本当は余りにも常識すぎるので、「沢庵用のダイコンを畑から取ってくる」を「沢庵を畑から取ってくる」と省略表現したということだったようだ。
 もっとも私自身も、軒先で干しているダイコンが沢庵になることは知っていたが、そのあとどうするのか分からない。だんだん自信がなくなってきた。たぶん糠味噌づけだったと思ったが、いや塩漬けだけだったか、それともキムチのように特別の漬け方をするのか??? とりあえず、『新明解国語辞典』で糠味噌づけであることは確認したけれど、それ以上の詳しい製法は分からない。
 分業や、機械化が進むと、努力に対して行動それ自体がもたらす結果(ビルトイン強化随伴性)が随伴する機会が奪われていく。いま述べた沢庵の場合でも、畑でダイコンの種を蒔き、間引きをしながら太り具合をみつめ、それを抜いて軒先に干し、(製法はよくわからないが)漬け込む...こうして作った沢庵はさぞかし美味しいものであると思う。沢庵という野菜があると思っていた子供には、その製造プロセスで得られる喜びは伝わらない。
 昨日の「稲刈り」体験の時にも感じたが、お米の栽培プロセスの中のほんの一部であるとはいえ、田植えを体験した田んぼで、鎌で一株一株を刈り取る行動には、その行動自体がもたらす「結果」が随伴する。これは、田植えから脱穀までを機械で全部やってしまう近代農業のシステムでは味わえない喜びである。
 ここからは、持論に結びつけてしまうことになるが、労働というのはほんらい、働くこと自体によってもたらされる結果によって強化されるべきものだ。ところが分業が進むと、自分の行動のプロセスと結果の関係が見えてこない。報酬はもらえるが、それ自体がもたらす結果が随伴しないから、生きがいを感じられない義務的なものになってしまう。そこでやむを得ず、余暇を拡大して、趣味に生きがいを求めるようになる。....うーむ。話が大きくなりすぎた。また、別の機会に論じることにしたい。
 まごちゃんは、36歳、60g。起床時間は5分程度。


971011(土)
[生活]稲刈り
 昼前から、佐伯町の岡山県自然保護センター主催の「親子観察会:稲刈り」に参加した。センターでは、毎年、敷地内の田んぼ1枚分を使って、田植えと稲刈りが体験できる親子観察会を主催している。田んぼの周りの水路内にいる、ドジョウやイモリやカスミサンショウウオを観察したり、そこで取れた藁を使って、しめ縄や松飾りを作る企画もある。
4年前から参加しているが、子どもの運動会や私の学会出張などと重なることが多く、同じ年に田植えと稲刈りに参加できたのは、今年が初めてであった。
農家の人たちのような苦労を味わったわけではないが、とりあえず、自分たちで植えた稲を刈り取ることができたということで、収穫の喜びもひとしおであった。
 田んぼの周囲には、いまではあまり見かけない植物も植えられている。この日は、正真正銘のフジバカマがちょうどきれいに花を咲かせていた。山道でよく見かけるヒヨドリバナとそっくりだが、葉っぱをちぎって揉んでみるとよい香りがする。これで見分けるのだそうだ。他に、オケラ(木)の花というのも初めて見た。ミズアオイの紺色の花もきれいに咲いていた。写真のプリントができたら、期間限定で写真を公開する予定。

971010(金)
[日記]動物が現れる日記(ver1.0)
 最近よく拝見する某日記(本当は掲示板のほうに直接行っていたりして...)には、毎日、ネコの写真が掲載されている。このことでふと思ったのだが、日記猿人登録の日記889本でいちばん多く登場する動物(もちろんヒト以外)は、ネコではなかろうか。そこで、まず、本日夜の時点の日記一覧で、日記名、1行コメント、ペンネーム全体を通して「猫」という文字がいくつあるかを検索したところ、確かに10個あることがわかった。冒頭に引用した某日記自体には「猫」という文字は入っていないことを考えると、猫が登場する日記は、もう少し多いような気がする。次に多いのは、ハムスターだろうか。シロクマが出てくるのは1つだけか。
 ところで、6/28のスクラップブックで紹介したように、朝日新聞の世論調査では「犬派65%、猫派15%」という比率になっていることから、Web日記の中でも、もっと犬が登場してよさそうに思う。あるいは、「Web日記を書く」という「習性」と「猫好き」という特徴には何らかの相関があるのかもしれないと思う。いずれ調査してみたいものだ。
 では、じっさいにどんな動物が現れているのだろうか。889本の日記は、あまりにも膨大でとうていチェックしきれないが、過去に拝見した日記の記憶や、タイトルの語句を参考にしながら、適当にアクセスしてみた。結果は、以下の通り。なお、事前にリンクの承諾はとっておりません。不都合があれば直ちに削除しますのでご了承ください。なお、以下の表はver1.0であり、今後、充実させる予定です。

リストはこちらです



 なお、このリスト作成中に感じたが、“File Not Found”や“Forbidden”の表示となる日記が、かなりたくさんあった。上に、現時点での登録日記を889本と書いたが、実際にアクセスできる数は、これよりかなり少ないものと思われる。
 まごちゃんは、34歳、71g。一昨日同様、21:45ころ強制冬眠を解除して、餌をやったりご機嫌とりをしてから、自発的に眠らせる。したがってきょうも、便秘。


971009(木)
[一般]リサイクルな私(続き)
 昼に食事をとりに家に戻ったら、いきなり妻から「あなた、大変だったのよ」と言われた。で、何のことかと思ったら、たまごっちのまごちゃんが、昼前からピーピー鳴り出して、世話で大変だったのだという。最近は、寝る前に、ほんの5分ほど冬眠解除をしているだけだったのだが、昨日の晩に冬眠にするのを忘れていたために、勝手に起き出して、お腹やご機嫌がゼロになって鳴き出してしまったのだ。昼間は家をあけることの多い妻が、在宅中であったのはまことに幸いであった。但し、「ゲーム」が面倒なためもっぱら「お菓子」で「ご機嫌」を増やしたため、33歳で体重が73gまで増加してしまった。明日以降、ダイエットする必要がありそうだ。

 きょうは10月6日の続きを書こうと思う。本当は、その翌日に書こうと思っていたところだったが、日記猿人100万アクセス突破と、スクラップブックの著作権の問題が割り込み、きょうまでずれ込んでしまった。きょうは、主な拾ってきた大型ゴミリサイクル品の活用状況についての考察である。
 思いつくままにいくつかあげてみた。現在各地で、ゴミ処理場設置に絡む地元住民とのトラブルが多発していると聞く。まずは、なるべく大型ゴミを出さない生活スタイルに切り替えるべきだろう。最近では、家電メーカーも新製品への買い換えを進める商法をあらため、修理などのアフターサービスの充実に取り組んでいるそうだ。恥ずかしがらずに、リサイクルの旗を高くかかげて大型ゴミを拾いにいこう。

971008(水)
[一般]新聞記事の引用をめぐる匿名伝言板における「論争」について

 昨日から、「たたかう伝言板」という所で、私が開設している「スクラップブック」のことが突然話題になってきた。善良な日記作家である私(ウソウソ)が、なんでこんな所で叩かれなければならないのか、それも、読者が極端に少ない日記をなぜ今頃とりあげるのか、とも思うのだが、もともと3度の飯よりも論争の好きな私である。ついつい、これに乗ってしまう。日記界には「倍返しシスターズ」というのがおられるらしい(シラシラ)が、どうも私にも「倍返し反論魔」的なところがある。そう言えば、中学の頃にも、クラスの委員の選挙の時に、「級友会」という派閥をつくって、「アウント商事」という派閥と、派手な選挙戦をやったものだなあ。
 で、この伝言板において、スクラップブックに対して向けられた疑問は、要するに、新聞記事の内容を要約もしくは部分引用し、コメントつきで紹介することが、著作権法違反になるのではないかというものであった。

 はじめに、このことについて、いくつか誤解があったので、指摘しておきたい。ある匿名者は、「掲載記事が『ASAHI.COM』をそのまま転記しているため著作権違反は明白」と発言していたが、私は「asahi.com」からは、いちども転載していない。「スクラップブック」の開設の趣旨は、こちらにちゃんと書いてあるのだが、匿名者の方は、「趣旨」はもちろん、実際のコンテンツさえ吟味せずに、思い込みだけで発言したものと思われる。いずれにせよ、「早速,著作権者(朝日新聞社東京本社或いは大阪本社或いは西部本社)に報告することを決めた。」と書かれてあったので、どういう結果になったか楽しみにしているところだ。
 この掲示板、もともと匿名で発言するところに存在価値があるらしいが、実名発言者の私に対して、匿名の発言が相次ぐと、反論がやりづらいのは確かである。例えば5種類の「お名前」から発言があったとしても、一人の人間が、名前を次々と変えて、いかにも多数が同じ意見をもっているかのように装うこともできる。注目していただいたこと自体は有り難いけれど、相手が一貫した姿勢で意見を述べてくれないと、こちらも、個々の発言の言葉尻をとらえたような断片的な反論しかできない。まあ、匿名掲示板の発言はしょせん「便所の落書き」のようなものだ、という見方もあるけれど。ここは結構「レベルが高い」という評判があり、だからこそ私もたまに読みに行くわけなのだが(「匿名で今も個人へ中傷続ける常連日記筆者達の醜態」という評判もあったようだけれど
 こうした発言の中で、「とうま」さんだけは、実名を名乗られていた。この方とて、ホンモノであるという証拠はないのだが、日記に同じ内容が書かれてあったので、本日夕刻までの御発言は、御本人と推定させていただくことにしよう。
 「とうま」さんの御発言、というより「よろずや」さんの10/1の正真正銘の日記を引用させていただくと(改行位置は変更させていただいた。また中途一部を略させていただいている)と:
ということらしい。「スクラップブック」掲載の大部分の記事は「雑報および時事の報道」にあたると考えているので、「新聞記事を引用したら何でも著作権侵害」だ、というような主張はあたっていない。よろずやさんご指摘のとおり、「転載しようが引用しようがこれに関しては著作権法の保護の及ぶ範囲ではない.」であるからだ。もしこういう権利が認められなかったら、ある政治家の不正をあばく報道記事について、他社は何も広めることができず、文句さえ言えなくなってしまう。
 問題になりそうなのは、インタビュー記事や署名入り記事であろう。 よろずやさんご指摘のとおり、本来は、
署名記事やインタビューや文芸評論の引用では,ご自分のニュースへのコメントを,少なくとも引用部分より多くすべき.
というあたりが妥当な基準かと思う。もちろん、2倍、3倍のコメントをつけても、引用範囲は必要な範囲で行われなければならない。
 ただ、ここは私自身も自信がないので、あまり強く主張する気はないが、スクラップブックの中にあるインタビュー記事や署名入り記事は、たいがい、心理学ネタに関するものである。これは、同じファイルの中で引用するだけでなく、別のファイルからリンクするかたちでも引用している。具体的に言えば、神戸の小学生連続殺傷事件についての、識者のインタビュー発言記事などがこれにあたる。この場合、1個のファイルの中だけで見れば、コメント文のほうが少ないかもしれないが、私のホームページ全体からみると、その引用の必要性が理解してもらえるはずだ。もし、何らかの裁判がおこった場合には、「スクラップブック」の1ファイルの中でのコメント量が問題になるのか、長谷川ホームページ全体を1つの著作物と見なし、その中での引用の必然性が論じられるのか、興味あるところだが、人ごとではないし、なるべく狭い範囲で、引用の必然性が明白になるように心がけたいとは思っている。

 じつは、たたかう掲示板の「論争」が始まる前から、「スクラップブック」の記述方針については、多少変更しようと思っていたことがある。これは、著作権云々ではなく、私自身の朝の過ごし方の問題である。夏には5:30頃には起きていたのが、このところ寝る時間が遅くなってきたことと(この日記を書いているため?)、日の出が遅くて朝方暗いという影響もあって、6:00頃まで寝ていることがある。こうなると、新聞を読みながら、朝食をとっているうちに、6:45からの「英会話入門」の時間が始まってしまう。この年齢になると今さら英会話力の向上は期待できないが、せめてボケ防止にと、「英会話入門」と「英会話」を聴き続け、とつぜんの外国人訪問者の応対にもまごつかないように努力しているところだ。こうしてかれこれ2年半になった。ところが、最近、「スクラップブック」の執筆が長引いて、口に出してしゃべる練習ができないことがある。で、今後の方針としては、次のようなこと考えている。(1)単なる備忘録的な記事についてのメモは1行程度にとどめ、必要が生じた時に当該新聞の復刻版(というかCD版)を参照、引用するようにする、(2)近日中に確実に必要な情報(主として、数値情報)は、細かく記す、(3)時間がある時だけ、コメント主体の引用記事を載せる、というような計画である。
 もうひとつ、よろずやさんから、
2.若名希望さんのおっしゃっているように,朝日新聞から警告を受けていないからといってOKだとは思わないこと
というご忠告をいただいた。私自身としては、「警告を受けていない」ことを根拠に正当化をする意図はなかった。そもそも、「著作権侵害」というのは、HP全体ではなくて、具体的記述に対して指摘されるものであると思う。私のもとの発言は、「現時点で係争中になっている記事はない」という現状報告をした程度のもので、今後、過去記事に対して削除要請が来ないと確信しているわけではない。もしそういう要請があれば、私としては、まずは、上に述べたような、「HP全体としての引用の必要性」を主張して理解を求めようと思うが、理解が得られなければ削除することになるだろう。朝日新聞以外の媒体からの引用も同様である。
 長くなるが、もう少しだけ。「スクラップブック」に関しては、私はむしろ、内容が朝日新聞からの引用に偏りすぎることで、特定企業(=新聞社)を宣伝しているという批判が向けられることを危惧している。出来れば、いろいろな新聞を平等に引用したいのだが、そんなお金はない。
 著作権の問題で、むしろいちばん気になっているのは、テレビ番組からの引用だ。ただ、これは、私から見れば、「血液型性格判断」という非科学的な俗説を流布したという点で、ぜひとも反論を加えなければならない対象であった。まだ完成していないけれど、この番組の内容については、この日記で、シリーズで反論をくわえており(最新のものは、こちら)、いずれ、体系的な内容にまとめあげる予定にしている。こちらのほうは、もしテレビ局からクレームがついたら本気で争うつもりで手ぐすねをひいて待っていたが、いちど、この番組を紹介したHPに掲載のご意見募集アドレスあてにEメイルを送ってurlまで報告したものの、その後何も言ってこないようだ。
 さて、この日記をアップする時刻には、「早速,著作権者(朝日新聞社東京本社或いは大阪本社或いは西部本社)に報告することを決めた。」と書いた方からの「報告の結果」が届いているはずだ。どういう結果が得られたか楽しみにしている。「新聞社に電話しようと思っていたが多忙のため忘れてしまった」、「電話したが担当者がいなかった」、「電話中だった」などは、言い訳にはならないぞ。匿名者であろうと、長谷川という実名者に対して、不特定多数の前で「報告することを決めた。」と公言した以上、その結果ぐらいは報告する義務があるはずだ。

 まごちゃんは、32歳、36g。21:45ころ強制冬眠を解除して、餌をやったりご機嫌とりをしてから、自発的に眠らせる。したがってきょうも、ウンチなし。


971007(火)
[日記]日記猿人100万アクセス

 日記猿人のカウンタが、日本時間の昨晩から本日夕刻までのあいだに100万を超えた。100万を超えたといっても、カウンタの設置以来(昨年12月21日以来)の数値であって、過去のすべてのアクセス数を表すものではないが、最近では毎日2000近い場所から10000近いアクセスがあるというのだから、このジャンルのサイトとして、確固たる地位を気づいていることは確かである。
 ところで、この日記猿人は、どのように利用されているのだろうか。最近のアクセス状況のデータを参照してみた。なお、この表のデータは、9/26以外は、現地時間の23:58時点のものである。残り2分間のデータは含まれていない。
日記猿人リスト別利用状況:総アクセス数とホスト数以外は、比率(%)。※印は、途中経過。時刻は現地時間
日付総アクセス数ホスト数Topページ新作top200投票手動更新のみ新作当日ランキング前日ランキング今週ランキング当月ランキング
※0926-16587570168812.8323.34 18.08_9.85_7.05_1.43_0.54_0.59
1001-23589887192813.3919.07 18.8710.23_6.97_1.38_0.69_1.01
1002-235810938219812.3621.57 17.2410.71_6.95_1.59_0.60_0.75
1005-2358_8921187814.5920.09 17.5010.69_8.21_1.77_0.73_0.93
1006-2358_9697195514.8020.18 16.6211.11_7.93_1.81_0.59_0.88


 この表を見ると、いちばん利用の多いのは多いのは新作200、ついで投票、第3位は手動更新だけの新作200で、順位の変動はない。Top画面を表示するurlは「/ne/ 」と「/ne/index.html」に分かれており、合わせて12-15%となっている。
 まず、「自動更新を除く新作200」がアルファ版であるにもかかわらず「当日の得票ランキング」を凌ぐ比率(9-12%)を占めていることだ。実はわたし自身、これが設置されてからは、従来の新作Top200のほうは全く参照していない。「自動更新」の日記の中には、どこが更新されているのかわからないものが多く、また、これは好みの問題だが、もともとあまり読みたい日記がなかったことがその理由である。
 次に、ちょっと意外だったのは、得票ランキングが、当日以外はあまりアクセスされていないことだ。ちょうど月変わり、週変わりの頃のデータをとったつもりだったが、当月、今週、あるいは(ここにはデータは示していないが)前月、前週のランキングを参照する人はあまりいない。
 もし、自分の得票順位が気になるためにアクセスする人が多ければ、「前日の得票ランキング」の比率がもっと増えるはずであるが、実際は、1%台のとどまっている。ということは、多くの利用者は、ランキング争いに興味があってアクセスするのではなく、「きょうは、どの日記がたくさん読まれているかなあ」ということに関心があってアクセスしているものと思われる。つまり話題性のバロメータとして利用されているということだ。私自身も、その日だけ急に得票が増えているような日記は、読むことが多い。
 そのほか、上の表にはデータを載せていないが、掲示板はけっこう読まれているように思う。上記のデータが取得できるアクセス情報のインデックス、日記一覧のフルリストなどにアクセスする人は、(私を含めて)ごく一部の日記読みマニアに限られているようだ。
この日記のいちばん下にも、借り物のカウンタなるものを取り付けている。こちらのほうは、週末頃に5000を超えるのではないかと思う。いちおう、上のほうにご案内を書いておいた。偶然に5000ピッタリになった方は、ぜひご連絡ください。ここで、お名前と(あれば)HPのURLなどをご紹介させていただきます。
 まごちゃんは、31歳、31g。21:25まで強制冬眠。冬眠解除した後、餌をやったりご機嫌とりをして、ハートが満タンになったところで、自発的に眠らせて、またまた「時間よ止まれ」。したがって、ウンチなし。


971006(月)
[一般]リサイクルな私(その1)

 私が住んでいる地域では数ヶ月に1度、大型不燃物の収集がある。今朝はその収集日にあたるため、前日の夕刻から指定のゴミ置き場にはたくさんの不要品が運び込まれた。
 私は学生のころから、ゴミ拾いリサイクル活動に関心があり、学内のゴミ置き場を廻って、役に立ちそうな家具類を貰ってかえったものである。この日記を書いている部屋には、勉強机3つ、スチール本棚4つ、椅子が3脚それにカラーボックス、木製の図書館カード収納箱、引き出し付きサイドテーブルなどがあるが、この中に新品で買った物は1つもない。木製の勉強机1つは、古道具屋で2500円で買った、真鍮の取っ手つきの値打ち物、スチール椅子1脚は、不要品交換で500円で買ったもの、それ以外は全部、拾ってきた大型ゴミリサイクル品ばかりである。
 拾ったもののなかでは、木製の図書館カード収納箱が逸品だ。引き出し27個分で小物入れに使用しているが、もとは私の出身学部の図書館で使われていたもので、用務員さんがナタでブチ割って焼却炉にくべている最中に、比較的破損の少ないものを3セットもらってきた。間違いなく戦前からのものであり、著名な哲学者や文学者もかつてこの引き出しの取っ手をにぎって文献検索をしたのではないかと思う。
 いまでも使っている私の下着用タンスは、ノーベル賞受賞者の福井謙一教授の学科の地下のゴミ置き場から運び出したものだ。福井教授の持ち物かどうかは定かではない(たぶん卒業生の下宿用品)。
 そのほか、リサイクルと言えるかどうかわからないが、アクション、ビッグコミックオリジナル、チャンピオンなどの漫画誌も、よく拾ってきた。数週間遅れになるが、連載はかならず読める。そういえば私は、お金を出して漫画誌を買ったことがない。あの当時私が好きだった漫画と言えば、(あまり大きい声では言えないが)「ガキデカ」、今でも連載が続いている「三丁目の夕日」、「タブチ君」、「嗚呼花の応援団」などだったか。工学部系のゴミ箱にはたまに「ビニ本」のたぐいも捨ててあったが、これはあんまり拾わなかった。拾った後の始末に困るからである。
 専任教官になってからは、学生の手前、みっともないので、ゴミ拾いリサイクル活動は慎もうと思っていたが、だんだん昔のクセが出てきて、使えそうなものは何でも貰ってくる。英会話練習用に使っているラジカセ、毎冬使っているスキー板とストック、それから長谷川所有の大人用自転車3台、ベランダの花台、研究室で使っている冷蔵庫も、みな拾ってきた大型ゴミリサイクル品である。このほか、大学のゴミ置き場では、PC98VMやVXも4台ほど拾ってあるリサイクルに役立てている。

 数年前ならば、大型ゴミの前の晩は、アパートの4階から時々ゴミ置き場のほうを双眼鏡で眺め、使えそうな物があると、階段を駆け下りて拾いに行ったリサイクル活動に行ったものである。しかし今回は古くなったガスレンジを捨てに行っただけで、何も拾わなかった。決して、生活が豊かになったわけではない。家の中も研究室内も、これだけガラクタが増えすぎると、もはや置く場所がない。特に家のほうは、せっかく拾ってきてリサイクル活動をしても、たいがいは妻に怒られて、元の場所に返しに行くハメになる。よく思うのだが、内需拡大をはかるのであれば、まず国民を広い家に住まわせることだろう。いまのようなアパート暮らしをしていると、物欲が萎縮し、捨てることのほうに喜びを感じるようになってしまう。
まごちゃんは、30歳、35g。大反則モード継続中。きょうは昼と夜に合計10分だけ起こす。あとは強制冬眠。「便秘」にならぬよう、ウンチをさせてから強制冬眠させた。


971005(日)
[心理]思い浮かべやすい数字、ウソをつく時に口に出しやすい数字

 よろずやさんの10/4の日記に、「ちなみに,人間がうそをつく時,末尾に8の数字を使いやすいということを読んだことがあるが,心理学的に説明のできることだろうが.58分であるが. 」というようなことが書かれてあった。これは一昨日に起こった、A氏「死去」のデマ情報で「死亡」時刻が「9月30日、午前9時58分ごろ」となっていたことに端を発するものだ。もし、この仮説のとおりであるとすると、偽の電話番号や番地を書き込む時も、また目撃した車のナンバーについて偽証する時も、末尾には「8」が現れやすいということになるが本当だろうか。
 で、ご指名もあった(ような)ので、心理学関係の書物をあたってみたが、手元にはそれらしき資料は見あたらなかった。元ネタの出所をおしえてください>よろずやさん。

 ウソをつく場合の資料はなかったが、一般的に「心にいちばん最初に浮かんだ数字を書いてください」と聞かれた場合には、「8」ではなくて、「7」がいちばん多いという論文がみつかった[Kubovy, M. & Psotka, J. (1976). The predominance of seven and the apparent spontaneity of numerical choices. Journal of Experimental Psychology: Human Perception and Performance, 2, 291-294.]. 
 この論文によれば、単に「心にいちばん最初に浮かんだ数字を書いてください」と問われた場合には、「7」と答える人が圧倒的に多く、28.4%に上るという。この論文ではさらに、「7」と答える比率が低下するための諸条件が検討されており、おおむね次のような結果を得ている。 「7」が好まれることについてのこの著者の解釈は通俗的なレベルにとどまる。すなわち、0から9のうち、2、4、6、8は偶数として一群をなし、3、6,9も3の倍数として別の群をなす。0と1は、初め(=1)と終わり(=0)であり、5は慣習上、中点と見なされる。残った「7」が特異的な存在であるから好まれやすいというものだ。
 うそをつく場合とはちょっと異なるが、1分間に「できるだけデタラメに」かつ「できるだけたくさん」という条件のもとで被験者に0〜9の数字を筆記させた場合には、「7」の頻度はむしろ低くなる。これは、一般に「乱数生成テスト」と呼ばれるもので、25年ぐらい前には、「でたらめの度合い」と「生成量」という2種類の数値から、職業適性にも応用できるなどともてはやされたこともあったが、その後、標準化されたとは聞いていない。
 このテストを紹介した乱数テスト研究会によれば、このテストで被験者ごとに最も多く現れた数字を拾っていくと、「1」、「2」、「8」という順で最高頻度になりやすく、「7」は最もなりにくいことがわかった。7が最高頻度になった被験者の比率は、小学校6年女子児童では109名中4名、女子大学2回生218名中では8名、私立大学男子3回生136名中では3名で、全体で3%にすぎなかった。元の話題の「8」であるが、小学校6年女子児童109名のグループでは、最も頻度の高い数字になりやすいという結果が得られており、女子大学2回生218名でも3番目に最高頻度になりやすい。「なるべくデタラメに」という条件とウソをつく時の状態が似ていると仮定すれば、よろずや説もある程度実証されていることになる。
「1が最高頻度になりやすい」とは、生成した数列に0〜9の数字が何回ずつ現れているかを被験者別に調べた結果、「1」の頻度が最高であった被験者の比率が最も高かったということを意味している。

 逆に、各被験者別で最も現れにくい数字を拾っていくと、「0」、「7」、「4」の順となり、「3」が最もなりにくいことがわかっている。 。
 上記の2つの実験研究は、前者がイェール大学学生、後者が日本人を対象としたものであるため、この違いも反映しているものと思われるが、単に「思い浮かべた数字」を書かせる場合と、「なるべくデタラメに」と教示した場合で、頻度の高い数字が異なってくるのは面白いと思う。
まごちゃんは、29歳、31g。大反則モード継続中。朝と夜に合計10分だけ起こす。あとは強制冬眠。それから、龍成くんからも、「夜久さんをどう思うか」ということについてご指名を受けたような気がする。そうだなあ、「夜久さんは、日記界のスウィフト」ということにしておこう。おっと、龍成くんは、スウィフトを....???


971004(土)
[生活]ノード停電のため、ふつうの日記

 この日記は毎朝8:00頃アップしているが、10/5はノード停電で、阪大以遠からはアクセスできないし、もちろん日記猿人への更新報告もできない。少な目に生活記録のみ、書いて置こう。
<10/5追記>昨日から飼っていたザリガニのおかげで研究室内があまりにも臭くなってきたので、やむをえず、元の場所に返した。
<もうひとつ追記>ディスクトップに貼りついていた目障りなチャンネルバーは、アクティブディスクトップのカスタマイズで消せることがわかった。
まごちゃんは、28歳、30g。大反則モード。自発睡眠が11時間、強制冬眠が12時間30分。起こしているのは30分だけ。


971003(金)
[心理]「日記猿人界」で広まりやすい流言

 けさ、いつものように「スクラップブック」と「じぶん更新日記」をアップして新作200リストを確認してみると、日記界は「「わかば日記」の赤尾氏、死去」がデマ情報であったという話題で騒然としていた(まあ、騒然といっても、5-6人の日記作者の1行コメントが目についただけであったのだが)。
 じつは、9月末の日記で、
日記界にも「ネズミ講」と「偽ウイルス情報」のチェインメイルが流れた。ただ、さすがネットの達人揃いの日記作者ばかりだ。匿名メイルに比べると、日頃拝見している日記作者の発言は信頼性が高い。ネズミ講や偽ウィルスのことがどこかの日記に書かれると、その読者に防衛体制ができあがる。どうやら日記界はチェインメイルの流布を阻止する有効な情報網になりうるようだ。
と書いたばかりであり、某掲示板での匿名者の落書きが有名日記作家たちをこれほど動揺させることになろうとは全く信じられないことであった。幸い、御本人はぴんぴんしておられるということなので、この機会に、「日記猿人界」で広まりやすい流言についてちょっと考えてみたいと思う。
 まず、今回の流言が少数ながら、一部の有名日記作家の間に広まったかということについて。これには、次のような原因が考えられる。
 社会心理学の専門家ではないので、あまりアカデミックな発言はできないが(もっとも、社会心理学者の発言も、ただ難しい専門用語を連発しているだけで、言っていることは当たり前に毛が生えたようなことばかりだ<--粛清がコワイ)、もし今後、日記界で死去説のデマが流れるとしたら、こんな場合だろう(なおいずれも一般論を言っているのであって、特定個人を想定したものではない。念のため)。  もともと日記作家には、私自身を含めて「タイプA」(血液型のA型とは無関係!)の方が多そうな気がするので、過労と心臓疾患による急死などと書かれると、本当に起こりそうな気がしてくる。長期間更新を休止する場合には、無用な混乱を招かないためにも、何らかの挨拶文を書いておいたほうがよいかもしれない。
 言うまでもないことだが、この種の流言の伝播を阻止するには、何はともあれ、情報の確認をきっちりすることだろう。それから匿名者の発言は、原則として「トイレの落書き」以上の信憑性をもたないと考えること。
 もうひとつ、本当に不幸が起こった時には、それが真実であることを伝えるにはどうしたらよいか。自分で「本日死にましたので、ホームページを閉鎖します」というメッセージを載せるわけにはいかないので、やはり、誰かに万が一の場合の閉鎖作業を遺言しておくべきであろう。もっとも、ネットの世界だけに存在する仮想の日記作家もいるはずである。自分が生きていても、日記作家としての自分を消滅させることはできる。そういう場合は、あまり消息を詮索しないほうがよいのだろう。
まごちゃんは、27歳、33g。大反則モード。日本時間7時に起床したあと、餌+ご機嫌とりのあと強制冬眠。日本時間19時40分に、冬眠を解除して同じ操作をくり返す。日本時間20時に、自発的に睡眠。つまり、24時間のうち、自発睡眠が11時間、強制冬眠が12時間、起きている時間は実質1時間のみ。起きている時は、どうやら5分おきに、お腹とご機嫌のハートが1つずつ減るようだ。


971002(木)
[心理]心理学っぽい俗説の人気度

 心理学関連の授業は、受講生の関心が高い(と思われる)半面、教えにくい面もある。それは、数学や物理学と違って、人間の心の問題については、受講生各自が幼少の頃からそれなりの自己流の「心理学」を自分の中に作り上げていて、それに反するような理屈っぽいことを教えようとしても、なかなか受け入れてもらえないという点である。
 数学や物理学の授業であるならば、受講生は、白紙の状態で、教官の言うことを理解しようとする。分からないとすれば、単に理解力がないだけのことだ。ところが、心理学のような授業となると、自分の心の内にある「心理学」に矛盾するようなことを教官が教えようとしても、なかなか納得してもらえない。自己流の「心理学」をもつこと自体は個々人の自由なのだが、いったんは、心を白紙にして、教官が伝えようとする別の見方をも取り入れて欲しいと思う。それを妨げる元凶と思われるのが、心理学っぽい俗説である。
 そこで、私は、一般教育の授業では、第1回目の時に、簡単なアンケートを実施し、どういう俗説に人気があるのか、また、何のためにこの授業の履修を希望しているのかなどを聞くことにしている。ちょうど、今週の水曜日から後期の授業が始まったので、今回の結果を公表したいと思う。今日は、そのうちの「俗説」についての調査。
 この質問は、毎年実施しているもので、8つの「俗説」について
(1)〜(8)のうち、人間の行動の予測や理解に役立つと思うものに○、役立たないと思うものに×、どちらとも言えないものに△をつけてください。
と質問するものである。ここでは、○をつけた比率だけを示す。今回の授業は、文・医・歯の三学部合同の授業であり、これ以外の学部の学生からも回答してもらったが、人数が少ないので除外させてもらった。また、合わせて、今年の前期に非常勤講師として教えたS短大の学生の結果も示す。今回の結果は、ほぼ全員が1回生、S短大のほうは全員2回生。

「俗説」が人間の行動の予測や理解に役立つと思う人の比率(%)

_文学部(63名)医学部(19名)歯学部(51名)S短大(65名)
(1)血液型30.221.145.172.3
(2)星占い17.55.315.744.6
(3)手相20.615.819.646.2
(4)バイオリズム33.363.243.141.5
(5)因縁22.226.325.527.7
(6)大安・仏滅などの六曜_4.8_5.3_9.816.9
(7)姓名判断22.2_0.013.741.5
(8)ノストラダムスの予言_3.2_0.0_9.8_6.2

 上に示した比率の相対的な大きさは殆ど変わらない。たいがい、血液型人間「学」と、バイオリズムがトップを占める。ついで、手相、因縁、姓名判断、星占いが第2位グループを形成し、大安・仏滅・友引といった六曜や、ノストラダムスの予言などは、あまり信じられていないようだ。
 ただ念のため言っておくが、この設問は「人間の行動の予測や理解に役立つと思うか」であって「これを信じるか」という聞き方はしていない。以前1度だけ、「これを信じますか」という問いに変えたことがあったが、○をつける比率はガタっと減ったように記憶している。
 血液型人間「学」やバイオリズムの問題点については、公用HPに詳しく述べたので、重複は避けたいと思う。バイオリズムの比率が高いのはちょっと意外な気がする。「仕組みは知らないが何となく名前に惹かれて○をつけた」という人もいたかもしれない。
 「ノストラダムスの予言」については、私自身あまり詳しいことは知らない。これに関連して1999年に地球が滅びるようなことを言う変な宗教団体もあるが、本当に滅びると信じ切っていたら、受験勉強などして大学には入って来なかったであろう。それにしても、20世紀の終わりは2000年の12月31日なのに、何か勘違いして1999年を世紀末だと思いこんでいる人が意外に多いように思う。
 「因縁」の比率が多いのはちょっと気になる。某反社会的宗教団体では「因縁トーク」とか称して、浄霊を進めるところがあるという。
 調査時期や学年が異なるので、あまり細かい比較はできないが、短大生は、岡大生に比べると、一般に「俗説」を好む比率が高めに出ていることにも留意する必要があるだろう。
 今日の日記のタイトルは「心理学っぽい俗説の人気度」としてあるが、ここに紹介するデータから「いまどきの若者全体における人気度」を調査したものではない。昨日の日記で「因果モデルは要請の範囲で構成される」と書いたが、このデータ収集の目的は、あくまで授業の実施に際して、「受講生がどういう俗説に惹かれているのか」を知りたいという要請に基づいている。この要請からみれば、日本の若者全体の傾向を知る必要は全くないということになる。
まごちゃんは、26歳、31g。だんだん世話がわずらわしくなって、午前も午後も、長時間冬眠させた。とにかく覚醒状態にあると消耗があまりにも早い。30分もたてば「お腹」や「ご機嫌」のハートがゼロになってしまう。で、なぜ育てている(介護している?)のかと言えば、好子除去(=死んでしまうこと)を阻止する随伴性によって維持されているとしか言いようがない。

971001(水)
[心理]因果モデルと科学的法則(その2)豊田氏の講演を中心に

 最近は前期・後期のセメスター制が徹底しているため、10月1日というのは、新学期(=後期)の第一日目ということになる。今週は、月、火曜日に前期の最終の授業が3コマあり、きょうは後期の最初の授業が2コマ、明日は3コマと続く。叢書の最終締め切りを来週まで待ってもらっているところだが、うーむ。これではちっとも筆が進まない(なぜか日記は書いている)。
 それから、きょうの1コマ目の「こころの科学」という一般教育の授業で、受講生(文・医・歯学部)に、この日記を含めて私のホームページがあることを紹介した。ところが、185名の受講生に「インターネットのWebページを見たことがあるか」と聞いてみたところ、誰も手をあげない。たぶん、目立つのを避けてわざと手をあげなかっただけではないかと思うのだが、ほんとうにゼロだとしたら驚きだ。へっへっへっ。この日記を最初に読んだ受講生には10点あげようかなあ。うーむ、これではネットにつなげない人に不公平になるので、代わりに、お名前の紹介でも。ホントにいたら、長谷川まで。ええと、組織票になるので受講生は日記猿人の私の番号には投票しないこと。

 さて、きょうは、日記よみ日記はちょっとお休み。今朝の授業の受講生に紹介した手前、初めて長谷川ホームページを見たとたんにいきなり「日記読み日記」が現れたのでは勉学意欲を損ねてしまう。これが第一の理由だ。きょうだけはマジネタに徹しておこう。それと、最近、日記界の「神様」とか「長老」とか呼ばれる人々が復活したかと思えば、少なくともこの夏には日記猿人に登録されていなかった、伝説の「新・新婚日記」というものまで登場してきて、私のような新人が日記界を論じるのはちょっとおこがましいかという気がしてきたことも理由の1つになっている。で、日記読みの続きは土曜日以降にということにして、きょうは9月21日の続きのマジマジネタだ。

 先日の日本心理学会年次大会の時に、豊田秀樹氏が面白い例を出していた(豊田, 1997, 「共分散構造分析による因果モデルとは何か---実験的研究と相関的研究の相違を中心に---」)。これはB.ラッセルからの引用だそうだ。
 養鶏場で生まれたあるニワトリは、毎朝、農夫が目の前を通り過ぎて納屋に行くと餌がもらえるという事実に気がついた。生まれてこのかた例外なのない確固たる「因果関係」であった。しかし、ある朝、農夫は納屋から餌ではなくヒモを持って来て、そのニワトリは絞められてしまう。
 ここで問題となるのは、「農夫が近づく--->餌」という因果モデルの妥当性である。このモデルは、農夫がやってきて自分を絞め殺したという現象を説明できない。もし「農夫は自分を食べるために餌を与えている」という本当の因果モデルがあれば、毎日の現象と絞め殺される現象の両方を説明することができるが、賢いニワトリがいて毎日ケージの中で「農夫が近づく」ことと「餌が与えられる」関係について詳細なデータを収集しても、「本当の因果モデル」にいきつくことはとうていできない。
 じつは、「農夫は自分を食べるために餌を与えている」にしても、究極の因果モデルであるという保障は全くない。もしかしたら、この地球は、というかこの宇宙全体は、ある宇宙人が実験のために作り上げた飼育ケージの中にすっぽり埋め込まれているのかもしれない。そして、農夫がニワトリを絞め殺す直前に、実験終了となって、宇宙全体が突然破壊されてしまうかもしれないのである。しかし、どんな賢い地球人も、そこで飼われているニワトリも、観察から得られたデータだけからは、「実験終了による突然の宇宙の崩壊」を予測することはできないはずである。
 となると、そもそも観察データからは、絶対根本の因果モデルなど作れないということになる。そこで、「因果モデルは要請の範囲で構成される」という豊田氏の主張が意味をもってくる。
 豊田氏は、同じ節で、もうひとつ別の事例をあげておられた(p.6)。それは、「大学入学以前にいじめられた経験」と「大学生活における悲観的な物の見方」との間に因果関係があるか否かという調査研究である。ここで問題とされているのは、特定の大学において、大学生活において悲観的な物の見方をする傾向である。この傾向があまり強いと進学や卒業に支障が出てくるかもしれない。そこで、その原因を探る一環として、入学以前のいじめられた経験が影響を及ぼしているのかどうかを調査する。もし正の相関があれば、学生懇話室のようなところで、過去の被いじめ経験を癒すためのカウンセリングを行う対策をとる必要が出てくるかもしれない。
 ここで注意しなければならないのは、上記の調査は、「『いじめられた経験』は『悲観的な物の見方』を形成するか」という一般法則の検証をめざしたものではないということだ。もし、そちらのほうが目的ならば、大学生以外の若者も対象にして検討しなければならない。なぜなら、あまりにも深刻ないじめにあった生徒は、大学入試に挑戦する気力さえ失っている可能性があるからである。要するに、これも「因果モデルは要請の範囲で構成される」ということの実例になっているのだ。大学の学生懇話室が自分のところの学生のカウンセリングの資料として調査するならば、自分のところの学生だけを調査すればよい。それが要請に基づいた因果モデルの生成につながる。いっぽう、『いじめられた経験』と『悲観的な物の見方』との一般法則を知りたいという要請があれば、それに見合ったモデルを構成し妥当な対象範囲からデータを収集する必要があるわけだ。
 最後に、豊田氏は「(因果モデルは)何のために構成するのかという現実からの要請がなくては存在意義がなくなる」とした上で、共通原因になりうる第3の変数の統制も、要請に応じて意味がかわってくると主張している。ここでは「付属校通学年数」と、「大学卒業後入社してからの有能さ」との関係が、事例にあげられていた。ここでいう「付属校」とは、私立大学などにある、小学校から中学、高校、大学までの一貫教育システムを採用しているところの付属校のことをいう。高校や大学入試のための詰め込み型受験勉強をせずに進学した大学生のほうが有能な人が多かったとすれば、少なくとも裏では、そういう学生を採用するべく上司に進言することになるだろう。しかし、仮に「付属校通学年数」と「入社してからの有能さ」に正の相関があったとしても、付属校における教育が「有能」と呼ばれる何らかの能力を育てたことの証明にはならない。たとえば、子息を付属校に入学させる親は、相当に経済力がある人たちばかりで、そういった人脈が、入社後の子息の出世に影響を及ぼしている可能性がある。しかし、人事担当者が、中・高校の教育のあり方について正確な考察をする必要はまったくない。単に、有能な人材が採用できればよいだけのことだ。となると、共通原因に絡まる第3の変数の統制は、あまり意味をなさなくなる。いっぽう、自分の子息を付属校に入学させようと考えている親にとってみれば、「付属校での教育は、将来の有能さの土台作りをしているか?」ということが主たる要請となり、この場合には経済的要因などを取り除いて検討していく必要が出てくる。
 以上、いろいろ書いてみたが、要するに、まず要請があり、それに基づくモデルが構成され、そしてデータが集められる、というステップをふむことだ。事後的にモデルを作ろうとすると、結局は、すべてをコジツケた、まことしやかなモデルに陥ってしまうことになる。

 「(因果モデルは)何のために構成するのかという現実からの要請がなくては存在意義がなくなる」という主張が自然科学一般に及ぶとなると、2つほど大きな問題が出てくる。
そのひとつは、基礎研究と応用研究はどう区別するのかという問題だ。応用研究は、要請に基づいて行われるので問題ない。基礎研究の要請とは一体何か。もし「コンテクストフリーの普遍真理を追求する」というのが基礎研究の要請であったとすると、前回の主張にあった「コンテクストフリーの因果モデルは存在しない」と矛盾することになる。このあたり、豊田さんのお考えを聞いてみようかと思う。

 もうひとつ、「現実からの要請に基づいて因果モデルが構成される」といっても、要請がどうして起こるのか、それは妥当な要請なのか、ということはどこでも論じられていない。そういう要請行動そのものの因果モデルを構成し、かつ人類全体の幸福にとってそれが妥当な要請であるのかどうかを判定するグローバルな視点をもつ必要が出てくることになる。
 手前味噌になるが、私の考えでは、要請行動がどうして起こるのか、要請を改善するのはどうしたらよいか、を検討するのがまさに行動科学ということになる。だからこそ、「科学の科学」としての行動科学がしっかりしないと、科学研究は誤った方向に進んだり、無駄を繰り返したりする。そして、これもさらに自画自賛になるが、行動分析学が、行動科学全体のなかで果たす役割はきわめて大きい。
 最後に行動科学といえども、要請行動自体の価値や是非を判定することは難しい。つまり、要請行動が生じる仕組みは理解できるけれども、その要請が絶対的に善であるか悪であるかまで判定することはできない。いままでこれを決めてきたのは、宗教、思想、文化、慣行といったものであった。しかし、歴史的に見て、初めから厳格な戒律のようなものを定めてそれに合致しない要請を規制するやり方は、短期的には成功しても、長期的には経済・文化の発展の阻害につながることが多かったように思われる。「世界平和」、「基本的人権の尊重」、「地球規模の環境保全」など大枠は堅持するとしても、できるかぎり規制をゆるやかにして自由な要請を認め、その存続を自然の淘汰に委ねたほうがプラスの結果をもたらすことが多いように思う。

<追記>上記の「基礎研究と応用研究の区別」についての疑問は、あくまで、データに基づく研究に関しての話である。共分散構造分析のような、解析法そのものについての研究が「基礎的研究」であることは言うまでもない。
まごちゃんは、25歳、31g。昨日同様に、「時間よ止まれ」の反則ワザで、8時間ほど冬眠させた。そのせいで、きょうはウンチをあまりしていないが、便秘という概念はないようだ。まあ、人間でも、都合の悪いときに冬眠して苦難を乗り切れるならばこれほど楽なものはない。しかし、本当に可能になると、一生冬眠する人が出てくるかもしれない。こうなれば生きている意味がなくなる。たまごっちと生身の人間との最大の違いは、人間は冬眠で苦難を回避できないという点にあるかもしれない(おっと、またまた校長先生の訓話?)。