じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 前期試験の合格発表(文法経3学部)風景。アメフトや柔道部の胴上げ要因が集結しているところ。合格者にとっては嬉しい激励だろうが、不合格の人たちはその2倍以上居るはずだ。発表を見に来た人にぶしつけに「合格ですか?」と問いただすのはどうかなという気もする。



3月8日(木)

【思ったこと】
_10308(木)[教育]失敗体験を活かす教育

 3/1の日記で、岡山大・前期入試・英語問題の1番についてコメントしたが、2番の問題もなかなか興味深い。3/8に前期入試の合格発表があったところでもあり、忘れないうちに思ったことを記しておきたいと思う。なお、問題は代ゼミのサイトから閲覧できる。

 2番の問題文のエッセイは、まず
Suppose you see two mothers with their children in a park. One is the type who shouts a warning at once when her kid starts doing something even slightly unsafe. She fills the air with cries of "Don't do this! " and "Don't do that"' The other is the kind who patiently lets her kid run risks, allowing unsafe play to a certain extent, yet keeping an anxious watch at the same time. Which mother would you prefer? Which is the better parent to raise a child?
というパラグラフから始まっている。子どもがちょっとでも危ないことを始めると、すぐに「危ないでしょう! そんなことしたらダメでしょう!」と叫ぶ母親と、注意深く見守りつつも、ある程度危険な範囲までは危ないことをさせて体験的に身につけさせようとする母親が対比されている。

 このように、体験型の教育と指示主体の教育を対比させた上で、エッセイはさらに失敗体験の意義に触れている。
We cannot acquire the ability and wisdom to make a successful recovery and become strong enough to face the world again, without the experience of failure. Unsuccessful trials, willingness to face bad results, the guts to confront trouble, all lead to the development of personality. Failure tests a person, and the process of recovery from the failure lets us know that person's true depth of character.
失敗の体験なしには、うまく立ち直ったり、そういう障壁に正面から立ち向かうだけの強さを備えた力や知恵を習得することができない。失敗を重ねること、悪い結果に向き合うのを厭わないこと、トラブルに直面する度胸を身につけること、これらすべてがパーソナリティの発達につながる。失敗は人を試す。失敗から立ち直るかプロセスを見れば、その人の人格の真の深みが読みとれる。[訳は長谷川による]
 エッセイではさらに、企業の欠陥隠しなどにも言及されている。社会の仕組みや、物事を隠蔽してしまおうという傾向はそう簡単には変えられないとも言っている。そして最後はふたたび教育論に戻り、失敗体験から遠ざけるような世話の焼きすぎは子どもの自然な発達を阻害すると結論づけている。



 以上引用したエッセイでは、いくつかの主張が混在していて、論拠と結論がうまく結びついていないような印象を受けるが、本文に含まれている
  • 「指示に基づく教育」よりも「直接体験を重視する教育」についての全般的な意義
  • 失敗を体験させることの意義
  • 失敗を恐れたり隠す傾向の問題点
という3つの論点はそれぞれ大切であろうと思う。

 例えばこちらで議論を始めている英語教育の問題。学習の初期の段階から、文法ミスや発音ミスに対して罰(=テストで減点される、先生から矯正されるなど)が与えられる。このことが結果的に、「話す」、「書く」という反応全般を自発しにくくしているのではないかという可能性がある。

 最近ふたたび論議を呼んでいる歴史教育の問題も同様。国内外の失敗体験を事実として包み隠さず受けとめた上で、そこから何を学び、どう立ち直り、将来にどう活かすかという思考を育てることが大切だ。

 もう1つ、卒論指導についても同じことが言えるかと思う。教員がテーマを与え、手取り足取りの指導をすれば、けっこうハイレベルの論文が書けることは確かなのだが、それでは失敗体験が伴わない。むしろ、レベルはかなり下がったとしても、テーマ選び、研究方法の選択、結果の分析、考察のそれぞれの段階で、できる限り自発的な行動を伸ばし、ある程度の失敗と立ち直りを繰り返す中で完成につなげたほうが将来に活かせるのではないかと思う。そういえば、そろそろ来年度の卒論指導の態勢を整える時期になってきた。
【ちょっと思ったこと】