じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

3月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

[今日の写真] 3/21の日記で復活の様子をお伝えしたアシナガバチが、巣作りを始めた。近くの枯れ草の茎をカリカリと噛んで、何かを運んでいた。





3月30日(土)

【ちょっと思ったこと】

二度と蘇らない景色

 昨日の日記で桜の木の下で撮影した2枚の写真を比較してみた。樹木は、成長して形を変えることはあっても、同じ場所でずっと私たちを待ち続けていてくれる。そのいっぽう、アルバムの中には、二度と見ることのできない景色も残されていた。。

[写真] [写真]  左の写真は、1990年11月3日に家族で雲仙普賢岳に登った時の写真である。右は、普賢岳の最高地点1360メートルの岩の上に息子がよじ登っているところ。

 その普賢岳は、わずか2週間後の11月17日に突然噴火活動を始めた。最初は山の上から2本の煙が上がる程度で小規模な水蒸気爆発だけに終わるのではないかとも言われたが、実際にはその後、想像を絶する大災害をもたらした。

[写真]  左下の写真は、1990年11月23日、諫早湾の干潟を赤い色に染めるハママツナの群落を見物に行った時の写真。こちらの風景は、干拓工事により消滅した。




あのまま居たら

 公用ページの履歴に記されているように、長崎では大学併設の医療技術短期大学部で心理学を担当していた。赴任時はそこに骨を埋める覚悟でやってきたものの5年後に転出。いちばんの理由は、教養科目担当教員ではなく、学部生や院生と一緒に研究ができる専門課程の教員をめざしたためであったが、職場そのものは皆親切で居心地がよく、また生活環境面でも永住に適した地であったと思っている。

 もっとも、その医療短大は現在、医学部保健学科への移行段階にある。4年制への移行は発足当時からの念願であったのだが、一般教育担当教員として残っていた場合には甚だ不安定な状況に置かれたのではないかと思ってみたりする。

 そもそも、医療短大における心理学の専任教員は、教養科目のカリキュラムを満たす必要があったために雇用されていたのである。ところが4年制に移行すれば、学生は大学全体で開講される教養科目を受講できることとなり、短大独自でそのような教員に授業を担当させる必要は無くなる。そのポストは、他学部に吸収されるか、保健学科内への振り替えを見越した暫定ポストとして残されることになったのではないかと思われる。いずれにせよ、かなりストレスの多い状況が生まれたはずだ。

 ところで、前任校とは関係なくあくまで一般論として述べさせていただくが、大学併設の医療短大の多くが医学部保健学科という形で4年制に移行したことが本当に良かったのかどうかは、私には分からない。

 4年制そのものは結構なのだが、できれば、保健福祉学部のように独立した学部を設立したほうが良かったのではないだろうか。確かに、看護系学科のように医療と密接に関係した分野もあるが、理学療法や作業療法の活躍する現場は「病気や怪我を治療する」部分だけにとどまるものではない。高齢者福祉にしても発達障害児の指導にしても、医療の枠組みにとどまらない広範囲な分野との連携が求められているのである。昨年6月にオーストラリアに行った時も、高齢者施設の責任者の方は
この施設には、ナースが○名、理学療法士が○名、作業療法士が○名、ダイバージョナルセラピストが○○名、常勤として従事しています。あっ、医師はいません。なぜなら病人は居ないからです。
と言っておられた。医療行政の根本に関わることなんだろうが、日本でももっと、医師の厄介にならないような高齢者福祉制度の充実が求められるように思う。