じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] クジャクサボテンが開花した。全部で13輪の花・蕾をつけている。できるだけ日に当てることと、冬期の防寒対策が花を咲かせるポイントになるようだ。

なお、花の中にはなぜかアマガエルが一匹。蜘蛛のように花に集まる昆虫を狙っているのか、単に居心地がよいためなのかは不明。アマガエルは体色を変えることができるそうだが、残念ながら赤い蛙にはならないようだ。


6月10日(金)

【思ったこと】
_50610(金)[心理]人と植物の関係を考える(7)植物との接し方にもいろいろある

  人間・植物関係学会鶴岡大会から一週間が過ぎた。

 この大会では
  • 人と森林
  • ガーデニング
  • 家庭菜園
  • 道ばたや芝地の自然
というように、人間と植物との関係をめぐってさまざまな研究発表が行われた。

 こちらのアルバム1歳5カ月の写真にもあるように、私自身は、生まれて間もない時から自宅の庭(当時)で植物と関わる生活をしていた。今でも、百日草やコスモスの種を蒔いてみたり、多年草や樹木の世話をしたり、洋蘭を育ててみたり、あるいは、県内の森林公園や海外の山歩きなどで大自然に接してみるなど、基本的には「何でもアリ」で、植物とふれあう毎日を送っている。

 この連載の1回目(6月2日の日記参照)でも述べたように、最近では、花屋さんからポット苗を買ってきて植え付けるだけという「ガーデニング」よりはむしろ、身の回りにある多年草や樹木が季節の変化とともにどう変化していくかということに注意を向けることが多くなった。

 もちろん、花屋さんでポット苗を買ってきて玄関先を飾るというのも嫌いではない。しかし、それは「育てる」というよりも活け花の感覚に近い。高齢者福祉施設における「園芸療法」というと、参加者の体力やサポート態勢の制約から、どうしても、そのような寄せ植え活動が中心になり、一定期間だけの活動の繰り返しに終わってしまうように見受けられるが、もう少し長期的なスパンで植物と関われる機会を増やしていけば、それぞれの参加者の人生との関連づけ、意味づけもできるようになり、充実した「園芸療法」になるのではないかと思ってみたりする。

 デジカメなどで多年草や樹木の写真を撮り続けていくと、単に「花が美しい」という「通りすがり」の関わりだけでなく、それらの植物の何年にもわたる「生活」が見えてくる。そのことに自分の生活を重ね合わせると、もっと深い関わりが可能となる。




 余談だが、美しいポット苗をたくさん植え込んで入園者を楽しませる植物園と、あまり手を加えない状態で野生植物の生きざまを観察する森林公園(あるいは、自然保護センター、里山、道端、....)の違いというのは、「レッサーパンダ見せ物論争」などで話題となった動物園の2つのタイプの役割とも似ている点があるように思う。

 例えば、私が好きな植物園の1つ、とっとり花回廊では というように、大山を背景にした雄大はお花畑を楽しむことができる。しかしそれらは、その土地で自然に育つ植物の生きざまを示すものではない。ビニールハウスで育てたポット苗を一定期間だけ植え込んで作った人工の「お花畑」であり、人々はそれを見て、地球上のどこかに実在しているかもしれないホンモノのお花畑を想像して思いにふけるのである。残念ながら、そういうお花畑というのはそう滅多に見られるものではない。北海道の原生花園か、タスマニアあたりに行かないと、ホンモノに巡り会うことはできない。

 6月10日付けの「日記書き日記」にも引用したが、旭山動物園では

●動物たちのありのままを,生き生きとした姿を伝えよう,そのためにはそれぞれの種が持っている行動を発現させて,能力を十分に発揮させてあげよう

という基本姿勢で、「芸当」ではない生きざまを見せるための工夫をしている。植物園においても、単に、美しい花を植え込んで人工のお花畑を作るというだけでなく

●植物たちのありのままを,生き生きとした姿を伝えよう,そのために、生育環境に配慮し、それぞれの種が持っている成長の姿を十分に発揮させてあげよう

という工夫が求められている。森林公園とか自然生態園のようなところでは、野生植物の生きざまを見せるために工夫がなされている。いや、上記の「とっとり花回廊」でも、あまり人は訪れないが、そういうことに配慮したエリアはちゃんと確保されているようだが。

次回に続く。