じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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刑事事件について発言すること[1999年版]

1999年5月14日〜

【思ったこと】
990514(金)[心理]犯行の動機とは何だろうか

 和歌山市園部で起こったカレー毒物混入事件で13日、和歌山地裁で初公判が行われたという。この事件については、まず亡くなられた方に謹んで哀悼の意を表したいと思う。また現時点において、被告が有罪であると決めつけているわけではない点についてもお断りしておく。

 さて、13日夜のTVニュースやや14日朝の新聞報道によると、検察側の冒頭陳述では被告の動機は特定されず、ヒ素を使うことへの「慣れ」や、川にゴミを捨てたことへの付近住民からの批判、町内会夏祭り準備段階での“主婦らの対応ぶりは自分をあからさまに疎外するものと受け止めて、反感を抱き激高”したことが複合的に犯罪を引き起こしたような記述をとっていおり、朝日新聞(大阪本社)の一面でも「検察、動機特定せず」という見出しがつけられていた。

 今回に限らず、犯罪事件では多くの人々が犯行の動機に関心を寄せる。しかし、1998年11月20日の日記でふれたように、1つの犯行が1つの原因だけで生じるということはむしろ稀で、そこには犯行を可能にする環境側の諸要因の積み重ね、犯行を余儀なくさせられた過去の間接諸要因が複雑に絡み合っている。その中で「動機」がどのぐらいの重みを持つのか同定することは容易ではない。まして、犯行というのはすでに起こってしまった1回限りの行動であるから、再現させることも実験で確認することもできない。裁判の過程で議論の対象となる「動機」と、心理学で研究対象としている「動機」とはかなり異なった性格を有するものなのだろう。

 犯行の動機が純粋に科学的に同定できないとすると、それに代わる妥当性の基準はどこに置くべきなのだろうか。おそらくそれは一般市民が素朴に受け入れる妥当性であって「その状況に自分が置かれたら、同じことをするかもしれない」という蓋然性がどれだけ高いかにかかっているように思う。

 たとえば、保険金目当という状況証拠が揃っている殺人事件の場合、一般市民は「その人を殺して多額の保険金が入り、しかも証拠が残らないのなら、ひょっとして私も同じことをしたかもしれない」と納得してしまう。また被害者が犯人を日頃から脅迫していた場合、一般市民は「その人を殺さない限りずっと脅かし続けられるような状況であったなら、ひょっとして私も同じことをしたかもしれない」と納得する。本当の犯行動機が別にあったとしても、一般にはそのような形で動機が明瞭な犯罪であると受け止められてしまうだろう。
もっとも一般市民の全員が「私も同じことをしてしまうだろう」と納得してしまう場合は、おそらく犯罪にはならない。例えば正当防衛のように「その人を殺さなければ私が逆に殺される」が動機として認定された場合は罪に問われない。
 犯行の動機が明瞭でない場合、一般市民は「なぜそんなことをしたのか分からない」と不安になってしまう。本当の原因がなんであれ、何かしら「そうなったらわたしでも同じことをするかもしれない」という要因が見つかればそれが原因であると見なしてしまう。犯人が自分の口から別の動機を主張しても、一般に受け入れられるような妥当性が無ければ虚偽であると片づけられてしまう。上にも述べたように事件の原因は事後的に分析することしかできないから、裁判官であっても、本当の原因よりも「みんなが納得する原因」をもって犯行動機と決めつけてしまう可能性が高い。

 「そうなったらわたしでも同じことをするかもしれない」という要因がどうしても見つからない時は「犯人の特殊な性格」が原因であると判断されてしまう。もっとも「特殊な性格」に精神異常や心神耗弱状態が含まれる場合は刑事責任を問わない可能性が生まれる。このあたりも科学的な行動原因の分析とは異なる世界の判断であるように思える。

 以上を私なりにまとめてみると、一般的な犯罪というのは、まず法令違反と被害者があったときに成立するものだ。その上で考慮される「犯行動機」が犯行の真の行動原因になっているかどうかは科学的には検証できない。「同じ状況に置かれたら私でもそうするだろう」という度合いが高い場合は情状酌量の余地が高くなる一方、逆に「同じ状況に置かれても私は決してそうしないだろう」という度合いがあまりにも高いものも「異常」として考慮される。社会的に最も重い罪として受け止められるのはその中間であり、「それをしなくても追いつめられる状況が無く、かつそれをしたら得をするような状況」があった時がもっとも悪質な犯行動機があったものと見なされているように思う。いずれも科学的分析による判断ではなく、定められた法令との整合性、あるいはその社会内部の一般的了解との一致に基づいて判断されるもののようだ。
【ちょっと思ったこと】
  •  大阪河内長野市で1994年に起こった小学生2名の交通死亡事故をめぐり、大阪地検は13日、「子供の飛び出しが原因」であるとして、改めて男性を不起訴処分にしたという。この事件をめぐっては、民事訴訟では「並んで歩いていた二人をはねた」と証拠認定した判決が確定しており、今回の再捜査も、検察審査会の不起訴不当の議決に基づくものであった。

     これとは別の東京で起こった小学生の交通死亡事故では、東京地検が昨年11月26日、当初の不起訴処分が誤りだったと認めたうえで東京地裁に起訴した事例がある【1998年5月14日の日記及びその翌日に取り上げたことがあった。犠牲者の両親が開設しているページはこちら】。

     この種の事件あるいは汚職や横領の事件などを含めてたまに疑問に思うのは、検察当局が本来の権限を超えて予備裁判所のような判断をしていることだ。よくあるのは、「容疑者はすでに社会的な制裁を受けており本人も十分反省している」というような理由で起訴を見送るケース。これは情状酌量であって本来裁判官が有罪を認定したうえで判断すべきことだと思う。今度の場合も、飛び出しとは認定できない証拠があり、かつスピードの出しすぎや前方不注意の責任もありうるのに、そういう疑念について裁判所で事実関係を公正に争う機会を自ら放棄してしまっている。もちろん運転手側にも家庭はあるだろうし人権にも配慮しなければならないと思うが、「疑わしきは罰せず」は裁判所側が行うべきこと、検察の仕事は「疑わしきが否定できない時は起訴」が原則であるように思っていたのだが、私の思い違いだろうか。
【思ったこと】
990519(水)[一般]素朴な疑問その後(2)妻の犯行?、夫婦の犯行? 動機と性格ふたたび


 本日は、
【素朴な疑問1】和歌山のカレー毒物混入事件では、直接関与していないとされている夫のK被告までがなぜ同じ裁判に出廷しなければならないのだろうか。 (※なお、被告名は新聞記事引用部分を含めてすべてイニシアルに変更した)。
 この疑問に対しては「共同正犯」ではないかとのご指摘もあったが、新聞記事を念入りに読んでみても、
...殺人と殺人未遂、詐欺の罪に問われた元保険会社営業職員、M被告(37)と、三件の保険金詐欺事件の共犯とされた夫のK被告(54)に対する初公判が....[5/14朝日】
と記されているし、第2回公判でも
...に問われたM被告(37)と、ヒ素が関連しない詐欺罪の共犯とされた夫のK被告(54)に対する第二回公判が...[5/18朝日]】
となっていて、カレー事件に限ってはK被告は共犯者としてさえ起訴されていないことが分かる。ま、別れ別れに収監されている夫婦が対面できる唯一の機会になるのかもしれないけれど、なんで一括して裁かれなければならないのか、このあたりがよく分からない。例えば、夫が会社で横領し、妻はスーパーで万引き、さらに夫婦が共謀して誘拐事件を引き起こしたとすると、夫婦がいずれも一括審理を望めば横領と万引きと誘拐は一括して裁かれることになるのだろうか...。お互いを更新する掲示板にて情報をいただければ幸いです。
[※追記]この件については6/2の日記で決着。6/1に和歌山地裁で開かれた第3回公判で、小川裁判長は両被告の公判を職権で分離する決定をしたという[各種報道]。

 ところでこのカレー事件だが、第2回公判で検察側は“動機について現時点で主張する必要はない”と述べ、また冒頭陳述で先送りされていた性格などの記述について、「M被告は以前からささいなことに激高して一時の怒りにまかせた異常な行動に走ることがしばしば見られた[5/18朝日]」と指摘し、
  • 生活ごみを自宅前の用水路に捨てた
  • 深夜に延々とピアノを弾き続けた
  • 生命保険会社にいた時代に同僚のささいな言動に怒り、その人の身分証や重要書類を捨ててしまった...。
といった具体例を挙げたという。また同じ記事によれば、
朗読に先立つ意見陳述で検察側は、「M被告がカレー事件の歳に近所の住民の対応に激高したことや、ヒ素を使って人命を奪うことへの規範意識が低下していたことが、カレー事件を起こした内心的な原因の一つになっている」などと指摘し
たという。

 これに対して、弁護側は「被告人の性格などを起訴事実の立証に使ってはならない。学説、判例の通説だ」「内心的原因という言葉は、動機とは区別しているんでしょ。『激高』『規範意識の低下』。あまりにも漠然としている。重大事件の立証命題にはなりえない。」と発言したという。[いずれも5/18朝日]

 これらのやりとりを読んでいると、法律の世界で使われる「性格」、「動機」、「内心的原因」は、心理学の概念とはずいぶん違うものなんだなあという感じがした。99年5月14日の日記にも書いたけれど、そもそも1つの犯罪が1つの原因だけで生じるなどということはあり得ないし(昨年11月17日18日の日記参照)、性格として挙げられている事例は、じつは性格特徴ではなくて具体的な行動であったりする。「規範意識の低下」というのもずいぶん素人っぽい表現のように思う。検察側も弁護側も、こういう概念をどれだけ厳密に定義して使っているのだろうか。

 行動の「動機」についても同様。心理学でも解明できない部分を裁判官が解明できるとは思えない。まして刑事事件ともなれば、被告は自分に不利になることには口を閉ざす。そういう状況のもとでいくら動機などを追求しようとしても、「私でも同じことをしてしまうかもしれない」程度の推量しかできないのではないか。裁判所で判断できることは、
  • その犯罪が本当に被告によって引き起こされたものであるかどうか。
  • 「それをしなくても追いつめられる状況が無く、かつそれをしたら得をするような状況」があったか無かったか。
だけではないか。裁判官が法廷の中だけで犯人の動機や性格を正確に把握できるのであったら心理学の地道な研究などもはや要らない。

990705(月)[一般]自殺激増はホンマに不況やリストラのせいなのか

 警察庁の7月1日の発表によれば、昨年1年間の自殺者は前年より8472人(+35%)多い3万2863人で過去最多になったという。その原因として、新聞各紙は、「不況反映」や「経済苦」、世代的にも4、50代の男性の自殺が増えたことを挙げているが、これは正しい分析と言えるだろうか。7月2日の大学院の授業で各新聞社のHPを閲覧しながらこの問題をとりあげる機会があったので、ここで考えをまとめておきたいと思う。

 まず、当日の各新聞社のHPの見出しを挙げると次のようになる(順序はたまたまその時に閲覧した順番であって特に意味はない)。
  • [産経]自殺者3万人超す 目立つ経済苦
  • [読売]経済・生活悩んだ自殺が7割増/少年の自殺動機、学校問題目立つ
  • [日経]経済・生活苦の自殺7割増 警察庁昨年まとめ
  • [朝日]不況反映の自殺、70%増 昨年中の「自殺者白書」
  • [毎日]自殺激増:史上初めて3万人を突破 経済生活問題の自殺が急増
  • このほか7/5の朝日新聞社説で「これは緊急事態だ」として中高年の自殺の話題をとりあげていた。
 ここにあげた各社の見出しはいずれも経済苦による自殺が急増したことを強調しているが、実際のところはどうなのだろう。事実を確認してみよう。
  1. 昨年1年間の自殺者は前年より8472人(+35%)多い3万2863人。内訳は男2万3013人(+40.2%)、女9850人(+23.5%)。
  2. 原因・動機別では、1位:病苦1万1449人(全体の35.0%)、2位:経済生活問題6058人(全体の18.4%)、3位:精神障害5270人。
  3. 経済生活問題を抱えた自殺者は前年比70.4%(2502人)の増加。
  4. 年齢別では、65歳以上8211人、50代7899人(うち男性6103人)、40代5359人(うち男性4187人)、30代3614人、60〜64歳3283人(うち男性2379人)。40〜64歳の男性合計は1万2669人で全体の38.6%。
  5. 人口10万人当たりの自殺率は、厚生省調査と合わせて過去最高だった1958年の25.7人を上回る26.0人。
 このように数字をあげていくと、確かに経済苦による自殺が増えていることは間違いないが、その増加分は2502人。全体の増加分8472人のうちの29.5%分しか説明できていないことが分かる。残りの5970人分の増加の原因にふれずに、経済苦による自殺分だけを強調するような取り上げ方をするのは少々問題ではないだろうか。

 もうひとつ、中高年の男性の自殺者が増えたことも強調されているけれど、じつは世代別で一番多いのは65歳以上で8211人。今回閲覧した限りでは、こうした高齢者の自殺を問題にしている記事は見あたらなかった。

 では何が原因なのか。手元にある数字だけからは何とも判断できないけれど、いずれにせよ病苦による自殺35%の内訳をもう少しくわしく調べてみる必要があるだろう。これがもし、介護を受けることで周囲に迷惑をかけることを気遣ったための自殺によるものであるならば、今後の介護制度や高齢者施設のあり方についてもっと考えていく必要がある。また、病気そのものの苦痛が原因であるというならば、尊厳死問題について考えていく必要があるだろう。

 このほか新聞記事の記述にはいくつか問題となる記述があった。大学院の授業の時に出された意見を含めて箇条書きにしておく。
  • 前年からの増加を比率だけで比較するのは問題。例えば、前年2万人が2万2000人となれば10%増、1000人が1400人となれば40%の増加。比率だけを比較すれば後者のほうが大幅に増えたような印象を与えるが、実数で比較すれば2000人増えたことのほうが遙かに深刻。もともと比率による比較というのは分母に共通性がなければ殆ど無意味。慎重にとりあげてもらいたいものだ。
  • 産経新聞の記事では、「社会的な圧力が強く加わっている階層は抑うつ状態に陥りやすく、自殺者が多い。...」というような小田晋・国際医療福祉大教授のコメントがつけられていたが、そんなに単純に説明できるものだろうか。
  • 読売新聞では「少年の自殺動機、学校問題目立つ」という見出しの別記事で「警察庁が発表した自殺統計では少年の自殺も目立っている。」と述べているが、実数は720人にすぎず、65歳以上の8211人の一割にも満たない。また「その自殺の動機で最も多いのが『学校問題』」としているが、実際の比率は、20%(9歳以下)から28%(10〜14歳)にすぎない。これをもって「学校問題目立つ」と要約してしまってよいものかどうかはなはだ疑問だ。事あるごとに学校教育の問題と結びつけて持論を展開しようという意図でもあるのだろうか。
  • 「いじめ」が原因の自殺などもショッキングな話題だけに大きく取り上げられることがあるけれど、今回発表で警察が「いじめ」と断定したのは2件のみ。「いじめ」自体が深刻な問題であることは言うまでもないが、自殺に結びつくケースは意外に少ないとも言える。
  • 朝日新聞の記事では、自殺者全体の推移を棒グラフ(3万5000人を最大値とする左目盛り)、生活・経済問題を理由に自殺した人の推移を折れ線グラフ(6000人を最大値とする右目盛り)として同じグラフの中で表示していたが、これは生活・経済問題だけが増加の原因になっているような錯覚を起こす。この点では、全体数の推移とそこに占める生活・経済問題による自殺者の推移を同じ目盛りの棒グラフで表した毎日新聞記事のほうが、事実が正確に把握できるような印象を受けた。
 この日記でも何度も主張しているように、意外なできごとや急激な変化ばかりが社会現象の本質を表すとは限らない。また現象というのは1つや2つの原因だけで生じるものでは決してない。どのようなケースでも、複雑な事態を少数の理由をあげるだけで納得して思考停止してしまうような風潮は避けなければならない。
【思ったこと】
990723(金)[一般]ハイジャック事件について思ったこと、疑問など

 7/23に起こったハイジャック事件について思ったこと、疑問に思ったこといくつか。
  • この事件の犯人は、ハイジャック防止法違反と殺人未遂(のちに殺人容疑に切替)で逮捕されたというが、機長を刺したり自ら操縦桿を握ったということが事実であれば乗客503人を巻き込んだ墜落事故が起こりうる危険をはらんでいたことになる。この点については何も追及されないのだろうか。

  • 何よりも分からないのは、新聞でもテレビでも“犯人は28歳の男。大学卒業後に1994年に鉄道会社に入社したが96年1月に「自己都合」で退社”とされているだけで、氏名も顔写真も全く報道されていないということ。「レインボーブリッジの下を飛んでみたかった」などという動機が伝えられたとおりであるとすれば妄想癖が無いとは言えないけれど、刑法上の責任が問えない状態であったかどうかは最終的には裁判所が判断すべきことである。通常の刑事事件と異なる報道スタイルをとると、逆にいろいろな憶測を生むことにはならないだろうか。

  • 7/24朝のNHKニュースによれば、犯人の男は事前に運輸省あてに羽田空港のハイジャック防止対策の不備を指摘する手紙を送っていたという。聞き間違いがなければ、羽田を中継点として別の飛行機に乗り継ぐ乗客が別送品を機内に持ち込める可能性のあることが指摘されていたという。日本の空港ではそんなことは無いと思うが、海外のある空港でトランジットとして待合いをしていた時には、トイレを探していて手荷物引き取り所に偶然に出てしまったということがあった。いくら機内持ち込み品だけを厳格に検査しても、待合所内の移動やトランクに入れる荷物のチェックが甘ければ、この種の事件は世界各地の空港で起こりうる恐れがあるように思った(但し私が海外に行ったのは15〜20年近く昔の話)。

  • 事件後に民放のリポーターが乗客に「その時のお気持ちは?」とか「今のお気持ちは?」などとインタビューしていたが、これは全く無意味な質問だと思う。乗客が実際に目撃した事実だけを聞き取ってもらえばよい。その乗客が事後に自発的に体験談を公表するならともかく、「気持ち」についてのインタビューなどは、低レベルの共感、同情、視聴者側の安堵を誘うだけのものであって、再発防止には何の役にも立たない。これは他の事件でも同様。被害者の肉親に「今のお気持ち」など聞くのは言語道断。

  • 現場に居合わせたわけではないので何とも言えないけれど、客室乗務員はナイフを突きつけられた時に無抵抗をとるように指示されているのだろうか。何らかの護身術を身につけていてもよいように思うのだが。結果論になるだろうが、犯人をどうして機長室に入れたのかも分からない。このあたり、危機対処のマニュアルに不備はなかったのか、マニュアルの機械的な遵守を徹底させるあまりに現場の状況な即応した臨機応変の対応が制限されていることはなかったか、それと一般的な事勿れ主義は無かったのか。このあたりも再発防止の決め手になるものと思う。
 余談だが、日本行動分析学会第17回年次大会参加のため、7/28から7/31まで北海道医療大学に出張することになっている。往復は伊丹からの航空機利用としたが、特別割引便の適用状況によっては、羽田からの便を利用する可能性もあった。当面はチェックが厳しいのでかえって安全とも言えるけれど、こんな身近なところに事件に巻き込まれる恐れがあるとは思ってもみなかった。
【思ったこと】
990725(日)[一般]実名や事実を公開したうえでの人権保護こそ大切

 神郷町から戻ってきたところ。いつも思うのだが、避暑帰りの暑さは特に堪えるものだ。

 さて、1999年7月23日の日記で、ハイジャック事件の犯人の実名が報道されていないのはまことに不自然であると指摘した。その後も私なりにテレビとか新聞をチェックしてみたけれど、犯人は相変わらず「その男」、「無職の男」、「28歳の男」と呼ばれているだけで、実名については何も伝えられていない。いっぽうWeb日記では、堀内さんほか何人かの方が、実名報道されないことへの疑問について書いておられた。

 一般論として、刑事事件で容疑者の名前を報道すること自体にどれだけの情報的価値があるかは分からない。ただ、現状では、少なくとも殺人に至るような犯罪では実名報道をすることが原則になっているはずで、報道しない場合には、それなりの合理的理由を付すことが必要ではないかと思う。殺人それ自体は衝動性の強いものであるかもしれないが、ハイジャック事件そのものについては、犯人は事前に手紙を送りつけたり、周到な準備をするなど、きわめて計画的な行動をとっている。また、現行犯逮捕ということで犯行事実もきわめて明白。それにもかかわらず、この犯人だけを特別扱いしているのはどうにも納得できない。しかも、私の見聞きする限りでは、新聞もテレビも「なぜ氏名を伏せているのか」について一言も説明をしていない。これでは逆に、いろいろな憶測が飛び出し、犯人と同じような経歴を有する(と決めつけられた)人々に対する偏見を生み出す恐れさえある。

 今回の問題とは全く別の話題になるけれど、少年犯罪などでも人権保護を名目に実名報道が控えられることがある。ケースバイケースの事情があるので原則論はたてにくいと思うけれど、もし、「人権擁護=実名を伝えないこと」を機械的に適用しているとするなら、ちょっと考え直してほしいように思う。

 どんな場合でも事実を隠しては問題は解決しない。事実が明るみに出ることが偏見を生むというならば、むしろ受け入れ側の環境を問題にすべきである。例えば、何らかの刑事事件で懲役10年の刑期を終えた人が社会に復帰する場合、その経歴自体は大いに公開すればよい。その上で「この人は、過去に過ちを犯したが、刑期を終えることでちゃんとその償いをした」として差別偏見なく受け入れる社会環境を整えておく必要がある。少年犯罪の場合でも、その時に犯した行為を覆い隠して社会に復帰させるのではなく、その事実が正確に伝えられたた上で「この人は、善悪の判断が未熟な少年時代には○○という事件を起こしたけれど、その後きっちりとした法的措置を受け、いまはそのことを十分に反省している」と判断されるような環境づくりが大切かと思う。同時に、実名が公開されたことで加害者に嫌がらせをする人が居ればそれも立派な刑事事件。どしどし取り締まり、匿名で嫌がらせをした人が居れば実名も割り出して公表してやればよい。
【思ったこと】
990908(水)[一般]ハイジャック事件と通り魔事件における実名報道の違い

 東京・池袋の繁華街で8日、通行人が通り魔に襲われ2人が死亡したという。この事件で意外に思ったのは、新聞[9/9朝日朝刊]もTVニュース[NHK朝6時台]も逮捕された容疑者を実名で報道していたことである。7/23に発生した全日空ハイジャック・機長刺殺事件の容疑者の実名は8/13の起訴に至るまでの間は公表されなかった。この違いはどこからくるのだろうか。

 ハイジャック事件の容疑者はきわめて周到に犯行を計画。機長を刺殺したのも「自分で操縦する」という当初の目的を達成するためと伝えられており、必ずしも錯乱状態の中での行為とは言い難い。いっぽう、今回の通り魔事件の場合には、伝えられる限りではこれといった目的や計画が見あたらない。ハイジャック事件で実名報道が控えられ、通り魔事件で直ちに実名が報道されたという根拠が今ひとつ理解できない。

 容疑者に入院・通院歴があるかどうかということが実名報道の基準になっているようにも思われる。しかしこれを機械的に適用すると「過去に精神科に入院・通院していた人は刑事責任を問えない行動を起こす可能性がある」という精神障害者差別につながる固定観念を助長しかねない恐れもある。他に何か明確な基準があるのだろうか。

 刑事事件の実名報道問題については1999年7月25日の日記に記したように、「一般論として、刑事事件で容疑者の名前を報道すること自体にどれだけの情報的価値があるかは分からない。」が、「少なくとも殺人に至るような犯罪では実名報道をすることが原則になっている以上、報道しない場合には、それなりの合理的理由を付すこと が必要」というのが私の考えだ。ハイジャック事件の容疑者が起訴され初めて実名が公表された時の朝日新聞の「おことわり」文には
...刑事責任能力の有無が判断できない状況にあったため匿名にしてきましたが..
と記されているが、では今回の事件ではどうして刑事責任能力ありと直ちに判断できるのか、このあたりがどうもよく分からない。
【思ったこと】
991126(金)[心理]やっぱり出てきた「お受験」批判

 文京区で2歳の女児が殺害された事件が注目を集めている。そんな中でやっぱり出てきた、と思ってしまうのが「お受験批判」である。11/27付の朝日新聞(大阪本社)記事でも“「お受験」過熱の果て?”、“有名校多い文教地帯”、“倍率21倍「名門」”、“「合格は親のメンツに」”といった見出しが並んでいた。

 今回の事件では、容疑者の家庭と被害者の家庭に同じ年齢の子どもたちがいたこと、被害者側の家庭の2人の子供がいずれも国立大附属幼稚園の抽選に通ったのに加害者側は漏れてしまったという明暗があることが犯行の動機につながった可能性があると言われている。これは確かに多くの人を「ああそうか」と思わせるような理由づけであるが、1つの現象が1つの原因だけで説明できるほど世の中は甘くない。犯行の原因をいわゆる「お受験」過熱だけに求めるというのはあまりにも短絡的で単純すぎる。Web日記作者がこの事件からの連想として「お受験」問題を論じることは大いに意義のあることだとは思うけれど、少なくとも報道機関にあっては、今回の事件の原因が「お受験」の過熱であるかのような固定観念を形成するような取り上げ方は控えていただきたいものだと思う。

 和歌山のカレー毒物混入事件に関連して1998年11月20日の日記、1999年5月14日の日記、1999年5月19日の日記などでふれたように、
1つの犯行が1つの原因だけで生じるということはむしろ稀で、そこには犯行を可能にする環境側の諸要因の積み重ね、犯行を余儀なくさせられた過去の間接諸要因が複雑に絡み合っている。その中で「動機」がどのぐらいの重みを持つのか同定することは容易ではない。


 というのが正しい受け止め方。しかし現実には、5月14日の日記でも指摘したように、世の中で残虐な事件が起こると一般市民は「なぜそんなことをしたのか分からない」と不安になってしまう。そういう時にマスコミが「そうか。そういう差し迫った状況があるなら私も同じことをするかもしれない」という納得を与えるような「解説」を提供すれば確かに不安は解消する。しかしそのことが本当の原因であるのか、原因の一部を構成しているとしてもどのくらいの重みを占めているのかということは別問題。ま、検察にしても裁判官にしても、結局は「みんなが納得する原因」をもって犯行動機と決めつけてしまうのはやむを得ないところなのだが、くれぐれも1つの現象が自分が納得しやすいというだけの1つの原因に結びつけて思考停止してしまうことのないように心がけたいものである。

 年末になると毎年のように、その年に起こった奇怪な事件や残虐な事件などを「十大事件」として編集しそれらが今の時代の社会的矛盾の象徴であるかのように解説を加える番組が次々と登場してくる。しかし、社会的な矛盾がストレートに奇怪な事件や残虐な事件ばかりを引き起こすというのは科学的な捉え方ではない。むしろ、誰もが当たり前と思っている出来事の中にこそ本当の矛盾が潜んでいる場合がある。地道に資料を集め、グローバルな視点から社会現象をとらえていなかければなるまい。

 そういえば、昨年末にも某TV局が私のところに岡山県内で起こった重大事件についてコメントを求めてきたことがあった。私は個別の事件についてまことしやかなコメントをする代わりに、「目立つ事件ばかりを並べても社会の本質は見えてこない。たくさん起こりすぎて当たり前だと思われているような事件に目を向けるべきだ」とか「1つの事件を1つの原因だけで説明して安心してしまうような風潮自体が問題だ」などと持論を展開した。結局、私のコメントは放映されず番組自体がボツになったと聞いた。ま、そういうことにならざるをえんでしょうなあ。

 以上のほか、センセーショナルな事件が起こるたびにそれを政治的に利用したり、持論に有利な証拠として引用したがる人達が必ず出てくることにも注意をはらう必要がある。「校長がまた自殺したらどうするんだ」とか「中学生による殺人事件が再び起こったらどうするんだ」という形で法制化とか教育改革を論じるのはディベートの方便のほうなもの。理論的根拠と異なる材料が説得の手段として持ち出されてくることはかえって本質的な議論を妨げてしまう。事件でも起こらないとなかなか関心を示さない世間の態度にも問題が無いとはいえないけれど...。
991129
【ちょっと思ったこと】
  • 熊本市で29日朝、小学2年生の男児が誘拐されたが、その後無事に家に戻る。49歳の会社社長が逮捕されたという事件があった。この事件で、またか!と思わされるのが、被害者の実名報道だ。男児ばかりでなく、父母の名前や職業までが露わにされてしまう。これではたまったものではないなあ。それと、11/30朝7時台のNHKニュースではトップで報じられていたけれど、個々の刑事事件というのは、世界全体に重要問題がひしめく中でそれほど重要な報道価値があるのだろうか。いっそのこと、週末の「今週のニュース」のようなまとめ番組で、事件の発生数、典型事例、犯罪の防止に有益な情報だけも事足りるようにも思うのだが、具体的な事実が生々しく伝えられないと関心を喚起できないということなんだろうか。

  • 文京区の事件、あいかわらず「お受験」原因説という固定観念を植え付けるような取り上げ方、あるいはお涙頂戴番組として視聴率を稼ぐような取り上げ方をしているワイドショー番組が多いように思う。番組は一切見ていないので、責任ある発言はできないけれど、新聞のテレビ欄の文字を拾ってみると...
    • 11月29日
      • 春菜ちゃん涙の通夜 お受験殺人の真の動機(瀬戸内海テレビ=TV朝日系)
      • “なぜ私の子供が”異常しっとが引き金?(瀬戸内海テレビ)
      • 母親同士“お受験”で確執を生む背景とは(瀬戸内海テレビ)
      • 言葉では表せない...殺害動機では名門幼稚園受験失敗!?(OHKテレビ=フジ系)
      • お受験最前線を検証(OHLテレビ)
      • 生中継春菜ちゃん葬儀....動機は劣等感!?お受験過熱地域の実態(OHKテレビ)
      • 緊急中継! 春菜ちゃん告別式(西日本テレビ=NTV系)
      • 肉親が胸中初告白 衝撃の犯行動機に重要証言(西日本テレビ)
      • 春菜ちゃん涙の告別式 ねたみと殺意 長男も入試失敗 お受験母以上競争(西日本テレビ)
    • 11月30日
      • 春菜ちゃんお友だちがさよなら(瀬戸内海テレビ)
      • お受験ママが生激白 名門入試の栄光と屈辱(瀬戸内海テレビ)
      • 春菜ちゃん告別式...検証!音羽のお受験熱(山陽テレビ=TBS系)
      • 山田容疑者の孤独とお受験傾倒....挫折! 実家静岡の別の顔(OHKテレビ)
      • お受験殺人!合格報告会で見せた容疑者苦渋の表情と動機の謎(OHKテレビ)
      • 深まる謎 お受験だけではない?(西日本テレビ)
      • 山田容疑者が語れない動機と素顔(西日本テレビ)
    エエ加減やめてもらいたいもんだなあ。なお私の考えは1999年11月26日の日記にあります。
【思ったこと】
991213(月)[一般]過度の性的描写や暴力シーンは子供に悪い影響を与えるというが...

 12/14の朝日新聞によれば、中曽根弘文・文相は13日朝の経済同友会代表幹事らとの懇談の中で「番組や雑誌に含まれる過度の性的描写や、いじめ、暴力などの場面が、子どもたちに悪い影響を与えている」と指摘し、「子供に有害なテレビや雑誌のスポンサーになるのは控えてください」と協力を要請したという。

 TVと子供の関係をめぐるこの種の見解はしばしば耳にするが、文部大臣の御発言となればその重みは重大。どういう根拠に基づいて、具体的にどういう性的描写やいじめ、暴力シーンが悪影響を与えていると言っておられるのだろうか。

 大人のモデルやアニメの攻撃行動シーンが子供に模倣されることについては、古くはバンジューラたちの実験(1963、1965など)としてよく知られているところであるが、その影響が単に実験室内の遊技場面に限定されるものなのか、現実の日常場面にまで及ぶものなのかは定かではない。

 97年7月11日の朝日新聞文化欄で、まんが評論家・村上知彦氏は、神戸の中学生による殺傷事件に関連して
  • ...「ホラービデオやまんがの影響」「ゲーム世代の犯行」という見方が、事件を手っ取り早く理解するための枕詞のように、繰り返し用いられた。少年の見ていたビデオ、読んでいたまんがのタイトルが伝えられ、その内容が事件と単純に結びつけられた。
  • 事件とまんがやビデオのイメージが似ている、あるいは模倣・引用されているという以上には、その影響がきちんと検証されたわけではなかった。その内容を検証し、子供への影響を分析した上で、作品そのものを具体的に批判するという作業は行われていない。ただその残酷さ、暴力性から受けた印象によって、まんがやビデオの影響というひとつの「物語」を作りだし、独り歩きさせているにすぎない。
 と指摘しておられる。青少年による異常で残虐な事件あるいは統計上の犯罪件数の増加を、メディアの影響に短絡的に結びつけることの無いように気をつけたいものである。

 昨日の日記では、我が家の子どもたちが推理サスペンス系の番組を好むことにたまたま触れてみたが、この場合も、「すでに起こった殺人を事実として固定した上で謎解きをする」という展開が、真の解決が得られないファジィな現象への受け止めに影響を与える可能性のほうを問題すべきであり、単純に殺人シーンが良いか悪いかという問題として論じるべきものとは言えない。

 このほか、いじめシーンが悪いというならば、「ドラえもん」はどうなるのか。のび太はしょっちゅうジャイアンにいじめられているではないか。さらに言わせて貰えば、童話での暴力シーンや窃盗シーンはあれでよいのかという議論だってある(1997年7月12日の日記参照)。表面的・外面的な印象だけから論じるべき問題ではない。

 以上、暴力・いじめシーンの影響を中心に述べたが、「過度の性的描写」の影響とは具体的にどういうことを言うのだろうか。まず何が過度なのか。どういう悪影響をもたらすのか。知りたいところである。むしろ、クリントン大統領の話、今回の横山ノック知事の敗訴の話題のほうが青少年に悪影響を与えているかもしれない。
【思ったこと】
991222(水)[一般]「てるくはのる」の取材はお断りだ

 3泊4日で東京〜清里に行っているあいだ、Y新聞社から大学宛に私の連絡先を教えてほしいとのしつこい問い合わせがあったという。21日の真夜中には事務長の自宅宛まで電話をかけてきたとか。確かに私は携帯電話は持っていないし、自宅の電話番号は電話帳にも大学の職員録にも掲載していない。連絡を取りたいという熱意は分かるとしても、真夜中に事務長の自宅まで問い合わせるとはちょっと非常識ではないかなあ。そういえばこの新聞社は以前にも真夜中1時すぎに電話をかけてきたことがあった。いい加減にしてほしいものである。

 事務長から伝え聞いたところでは、この新聞社の取材目的は、京都の小学校で小2の男児が殺害されたことに関連して犯人と思われる男が残した「てるくはのる」の謎解きをやってほしいという要請であったという。前回の真夜中の電話は、神戸の「酒 鬼 薔薇 聖斗」。いずれも、かつて私が宮崎勤被告のメモの謎解きに関与したことからどこかのデータベースに私の名前が残っていたためだと思うけれども、そんなことの相手をするのはまっぴら御免。犯人が注目を集める目的でばらまいた暗号?の御相手をしてやったらまさに犯人の思うつぼではないか。「どうせ解けないから負け惜しみを言っているんやろ」と思われるのはシャクだけれど、そもそも私は今の時点で犯人の御相手などするつもりはない。そういうことに時間をかけるのは無駄だと思っている。

 かつて私が宮崎勤被告の謎解きを試みたのはあくまで犯人が逮捕され、実名が公開されたあとのことである。被告が被害者の遺族に遺骨を送りつけた時に付されたメモ(“○○[被害者の名前]、遺骨、焼、証明、鑑定”)をローマ字で表記して並び替えると、被告のフルネーム(但し、宮崎はミヤサキと読む)を含む「ミヤサキ ツトム 箱に詰め消え」という文ができあがるという指摘をしたものであった。これは事後的にフルネームを当てはめていったまでのことであって、逮捕以前に犯人の名前を割り出すことには決して役立たない。例えば少々不謹慎な表現になってしまうが、同じ文字列から「○○○○ ○○○ 今日特に綺麗」(○の部分には私の妻の旧姓のフルネームが入る)という文だって作ることができるのだ。要するに、この謎解きが役立つとするならばそれはM被告の犯行の残虐性、計画性を裏付ける証拠の1つになりうるかもしれないというだけのこと。それ以上の価値は無いと考えている。

 さて、元の「てるくはのる」は、娘が丸暗記しているくらいだから小学校の児童の間でも話題になっているのだろう。12/23のテレビ欄を見ても「京都小2殺害謎の声明文」(瀬戸内海テレビ)、「てるくはのるの秘密と犯人像をプロファイル」(西日本テレビ)などのタイトルが目につく。しかし、この事件で本当に問題にしなければならないのは、(「声明文」どおりの犯行であったいうことを前提とした上での話になるが)「学校への恨み」が学校という教育組織ではなく、そこに通っているにすぎない一児童を殺害するというように転化してしまったことであろう。もちろん、現時点では動機が別にあった可能性も否定できないが。

 話は変わるが、12/21〜12/22にはこのほかにも、臨界事故で被曝した大内さんが亡くなられたこと、横山ノック知事が起訴されたこと、大阪摂津市で小2の女児が誘拐され保護されたニュースなどが次々と伝えられている。いずれの場合も、
  • その事件はどういう社会現象の確立操作として機能しているか(=その事件の背景となっている社会的問題に対してどういう注意を喚起するものであるか)。
  • 同種の事件の再発を防止するためにどういう対応策が可能か。
という形で注意を向けていかなければならない。「犯人像を探る」などというのは有害無益。フィクションの世界だけで楽しんでもらいたいものだ。
991229
【ちょっと思ったこと】
 12/29夜にテレビせとうち系「20世紀おもしろクイズ」を夕食時にチラッと見た。金庫の盗難防止装置として、金庫を勝手に移動すると中のお札に自動的にパンチが入り使用不能になるというのが面白かった。お札を意図的に破損するのは法令に反するのではないかと思ったが、硬貨の変造偽造にあたるような罰則規定は無いと説明されていた。金庫のドアをいくら厳重にロックしても金庫ごと盗まれたのではどうにもならないが、お札が使い物にならなくなるとすれば逮捕の危険をおかしてまでわざわざ盗む泥棒もおるまい。物を盗まれないようにするには、盗む行動を物理的に阻止するという対策以外に、「窃盗」が強化されないように随伴性を変更するという行動分析学的な対策があったわけだ。こういう発想の転換こそ21世紀に求められるものだろう。

 このほか、現金輸送車を車ごと盗んでも、特定の運転者以外が運転したのでは10km以下のスピードしか出せないという仕組みも面白かった。車を盗むのは、スピードが出せるという結果が随伴するからにほかならない。上記と同じく、スピードという好子が消滅してしまえば盗む行動は強化されない。これなどは、一般車の盗難防止にも応用できると思う。

この連載は2000年版その1にさらに続きます。