じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
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【思ったこと】 _00125(火)[心理]キャッチフレーズを読み解く(1):吉野川可動堰ディベート 2000年1月23日の日記でもちょっとふれたように、吉野川可動堰建設の賛否を問う住民投票が23日、徳島市で行われ、投票率54.995%、建設に反対とする票が90.14%という結果になったというが、じつはこの問題、私にはよく分からないところがあった。例えば
では、どうしてこのような結果になったのだろう? どうやら建設省側が説得活動においてキャッチフレーズづくりに失敗し、逆に反発を与えてしまったことが、54.995%という高い得票に表れたのではないか、という気がしてならない。 この問題に限らず、世の中はキャッチフレーズにあふれかえっている。念のため『新明解』でこの意味を調べてみると、 [広告などで]相手に強い印象を与えるために使う、短い効果的な言葉、うたい文句、惹句となっている。 この忙しい世の中、いちいち時間をかけて理詰めで相手を説得していくのはなかなか困難。聞き手側もそんな相手をしている時間的余裕がない。そんなことよりも、分かりやすいうたい文句で人の心を惹きつけたほうがよっぽど効果的。そしてそのためには、相手が「これは絶対に正しい」、「これなら賛成」というように「当たり前」であると考えている内容に如何に結びつけていくか、そこで如何に琴線に触れるかというテクニックが大きく物を言うことになる。 さて、今回のケースで反対派はどういうキャッチフレーズを使ったのだろうか? 事後的な解釈になるけれども、いちばんインパクトを与えたのはどうやら 吉野川に一票を!であったように思われる。このほか
いっぽうこれに対して建設省や徳島県が提示したキャッチフレーズは何だったのか? 新聞記事をざっと調べてみると(2/5に関連記事あり)
学術上の論争と異なり、納得を与えるキャッチフレーズは必ずしも科学的根拠に基づくものとは限らない。私自身はこれまで、一般教育の授業や行動科学概論の中でもそういうものを「話術」として批判し、「あっさり納得せず、本当はどうなっているのだろう」というクリティカル思考を推奨する立場をとってきた。 しかし、そもそも人間行動は論理的推論に基づいて因果関係を冷静に把握した上で実行にうつされていくものではない。「行動随伴性」という行動分析学の基本概念は 行動に随伴する結果は、因果関係に基づいて必然的に生じた結果であろうと、偶発的に伴った結果であろうと、同等の効果をもつ。効果の違いは、あくまで結果随伴(強化)と非随伴(消去)の頻度によって決まるということを前提としている。また、「〜すれば〜になる」という形のキャッチフレーズは有用なルール支配行動を形成できる可能性をもっている。とすれば、ある程度の科学的根拠をもつことと、クリティカルな思考があることを前提にしつつも、より有効な「キャッチフレーズ」づくりをめざすことで、より活気にあふれた人生や社会を構築できる可能性があることにも目を向ける必要がある。これを機会に、不定期ながら、いろいろな形で提示されているキャッチフレーズが何を背景として成り立っているのか、本当はどうなのか、どういう効用があるのか、読み解いていく連載を開始したいと思う。 |
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【思ったこと】 _00126(水)[心理]キャッチフレーズを読み解く(2):ここがヘンだよ日本人/マルチスタンダード/定数削減 水曜日の夜10時からの「ここがヘンだよ日本人」をチラッと見た。この番組、はっきり記憶していないが、どなたかのWeb日記で批判されていたのが見るきっかけであった。前回見た時は「鉄道の車内放送や駅構内の放送は必要か」、「アメリカの基地は必要か」など。今回は「学校に行かない子供は、悪い子ですか」という話題。「イジメに遭ったら、相手の一人をしばき倒せばよい」というインド人に「そんなのはインドでやってくれ、パキスタンとの原爆をめぐる争いと一緒だ」などと切り返すなど、問題発言が続出。さぞかし抗議の電話も多いのではないかと思うし、よくぞ国際問題の火種にならないものだとハラハラしてしまう。 しかしこの種のディベート、結局は、「キャッチフレーズ」の人気投票のようなもの。発言時間も限られているので、筋道を立てて理詰めで納得させる余裕はない。どういう表現で多くの支持を集めるか、論敵をギャフンと言わせるかがすべてであるように聞こえた。 さて、連載に戻って、吉野川ディベート問題を引き続いて取り上げてみたいと思う。昨日かかげた建設推進派のキャッチフレーズの中からいくつか抜粋してみると、次の2つのタイプがあることに気づく。 1つは「多数決結果よりも被災地住民の命を守ることが必要」というロジックであり、
2つのタイプは個別的には建設推進を支持する立場をとっているが、双方を寄せ集めてしまうと自己矛盾をきたす恐れがある。なぜなら、前者の立場は世論がどうあれ、この計画を推進しないと住民の生命は守れないという固い決意を表明したもの。その立場から言えば、投票に行かなかった人の気持ちとか、有権者の過半数に達するかどうかはどうでもよいこと。それを少しでも建設推進の世論を有利に導こうとして、あれもこれもと理由を後からくっつけると逆に「建設という結論、さきにありき」という印象を与えてしまうことになるのだ。そういう意味では 「(水害の)被災予想地の四分の一の方々の意見を誇大視していたら、三十万の推進署名をしてくれた方々の気持ちを無視することになる。将来(水害で)命を落とす人がないようにしたい」(1/21:中山建設相記者会見)などというのはまさに自己矛盾の典型。命を落とす人がないようにというのが本当の理由であるなら「三十万の推進署名」などに言及する必要はないはずだ。 このほか、「生命を守る」とか「命を落とす人の無いように...」などというのは、よほど確実な危険が想定されない限り、軽々しく口にすべきではない。口にしても逆に「脅かしにすぎない」と信頼性を低めてしまう可能性のほうが高い。もし大災害が現実に想定されるのであるなら、建設大臣ではなく、土木工学の専門家たちの連名による緊急声明として発表されるべきだった。 上記のように、全体として矛盾や不整合が生じるような集合になってしまうことを「マルチスタンダード」と呼ぶ場合がある。個々のキャッチフレーズは説得力があっても、主張に一貫性がなく、自分では建設的な論理体系を構築することができない。インパクトを与えるためにも、一貫性をアピールするためにも、キャッチフレーズは1つあれば十分。少しでも有利に論を進めようと、あれもこれもと寄せ集めて来ないことが肝要だ。 さて、国会では、定数削減法案について与野党の大詰めの折衝が続いているという。この場合の当初のキャッチフレーズは「民間企業がリストラを行っているのに国会議員だけが安穏としているわけにはいかない」であったようだが、その後、「残りも比例区から削減すべきだ」とか「党利党略だ」、「議員の身分に関する問題なので慎重に」、「議長裁定に反する」、「予算が第一」といった別の主張が混入してきたために、本来の「民意を反映することを大前提にいかに国会議員の人件費をどう削減するか」という趣旨を忘れて、駆け引きや自分の党の正当化のための「キャッチフレーズ」の応酬に終始しているところがある。上記のマルチスタンダードという点で言えば、私は、小選挙区制に固執する民主党の対応に一番曖昧なところがあるように思えるが、さて、ギリギリの段階でどういうキャッチフレーズが飛び出すだろうか。注目していきたいと思う。 |
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【思ったこと】 _00131(月)[心理]キャッチフレーズを読み解く(3):政治はキャッチフレーズのぶつけ合い このシリーズの1回目(2000年1月25日)でも述べたように、 この忙しい世の中、いちいち時間をかけて理詰めで相手を説得していくのはなかなか困難。聞き手側もそんな相手をしている時間的余裕がない。そんなことよりも、分かりやすいうたい文句で人の心を惹きつけたほうがよっぽど効果的。そしてそのためには、相手が「これは絶対に正しい」、「これなら賛成」というように「当たり前」であると考えている内容に如何に結びつけていくか、そこで如何に琴線に触れるかというテクニックが大きく物を言うことになる。最近の政治の動きを見ると、まさにキャッチフレーズのぶつけ合い。もちろんその根底には、体系的な政治思想、経済理論、権力、利害などが絡み合っており、結局はそれらを総合した「力」が物を言うことになるのだろうが、言論が尊重される社会ではどんなに力が強くても一方的なごり押しはできない。そこで、誰にでも分かるようなキャッチフレーズでそれを補い(時にはカモフラージュし)少しでも自勢力に有利になるようにことを進めていくものと思われる。 国会審議の混乱をめぐる与野党の応酬をみると、いかに巧妙なキャッチフレーズを考案・使用するかということが、国民からの支持をとりつける最大の手段になっているように思える。
この問題、野党側は本来ならば、 国会定数削減分を「比例区:小選挙区=20:30」で同時に実施するというならば話は分かる。それを、比例区だけ一方的に削減しようとするのは大政党を有利にするものであり、少数意見封殺に繋がりかねない党利党略の暴挙だという形で反撃すれば分かりやすいロジックになったと思う。ところが最大野党の民主党が、比例区は廃止すべきだというような主張をしているからこの切り札が使えない。このあたりに最大の歯切れの悪さがあるように思える。 いずれにせよ、相手方の直前の行動を非難するためのキャッチフレーズばかり考案・使用していたのでは揚げ足取りになりかねない。1/25にも述べたように、しょせんキャッチフレーズは 相手が「これは絶対に正しい」、「これなら賛成」というように「当たり前」であると考えている内容に如何に結びつけていくか、そこで如何に琴線に触れるかというディベート上のテクニックのようなもので、筋道の通った体系的主張とは相容れないところがある。発端が何であったか、問題の本質は何なのか、といった根本に立ち返った議論が望まれるところだ。 余談だが、自民党の森幹事長は代表質問の中で「【野党は、】議会人としての自殺につながりかねない暴挙を敢行し...」と発言されたようだが[2/1朝日]、『新明解』をひもといてみると 敢行:悪条件を押し切って行うこと。という意味が記されており、「困難な諸条件があるなか、勇気をもって思い切って行った」という語感があるように見える。批判対象の行為を「敢行」と呼ぶのは、何となく相手の勇気を褒めているような印象を受けるのだが、私だけの個人的印象だろうか。 このほか、同じ森幹事長は、先日の吉野川可動堰投票に関して 住民投票ですべてを決めるのであれば、議員が必要なくなるのではないかという意見を表明しているとか[2/1/朝日]。 しかし、この「すべてをAとするなら、Bは必要なくなる」という論法には少々無理があるようだ。個別に制定され実施されている住民投票はすべてを決めているには該当しないからである。 |
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【思ったこと】 _00310(木)[心理]キャッチフレーズを読み解く(3):戦後に押しつけられたもの? 今回は、「押しつけ」をめぐるレトリックについて考えてみたい。ちなみに、この連載の目的は「レトリック」でなく「キャッチフレーズ」にあるのだが、実例を拾っていくと前者の話題が中心にならざるをえないのは皮肉なことである。 さて、3/10の朝日新聞に、「憲法調査会 下:制定過程を巡って」という記事があった。いわゆる「押しつけ憲法論」をどう受け止めるかという議論。記事に紹介されていた各党の主な意見は以下の通り。
押しつけられたものはよくない。だから変えるべきだ。 というキャッチフレーズに対して
もっともそれはそれとして、戦後のGHQ統治下、もしくは戦後の混乱期に十分に意見を集約できないうちに決められた諸制度について、功罪両面を歴史的に検討していくことには意義があると思う。いくつか例を挙げれば、
そういや、いま全国の国立大学で行われている改革についても、文部省筋からの「押しつけ」であろうとの反対論が根強い。大学が独自に決める建前にはなっていても、「そうは言ったって、文部省がそんな案を認めるわけないじゃないか」とか「そんなことばかりしていると、予算の重点配分から外されてしまう」といった外圧を論拠にする主張が受け入れられやすいことは確かかもしれない。 |
この連載はさらに続ける予定です。 |