じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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21世紀の大学教育(2001年その2)


【思ったこと】
_10427(金)[教育]21世紀の大学教育(5)ネットを利用した大学教育(1)

 8月に行われる行動分析学会でシンポジウム「ネットを利用した大学教育〜行動をいかに強化するか〜」を自主企画している。

 ネッを利用した大学教育についてはすでに多くの場で議論が行われているが、教員と学習者のあいだの行動に焦点をあてたものは少ない。いくら設備を充実しても、あるいはいくら講習会を実施しても、適切な利用行動が強化されなければ教育方法として機能しない。この点で行動分析の立場から議論をしましょうというのが企画の趣旨である。発表原稿の締切を前に、このことについての考えをまとめてみようと思う。

 まず、ネットを利用した大学教育といっても、様々なスタイルが考えられる。今回は、もっぱら授業における利用を検討するが、学生の悩み相談、大学環境についての意見募集にネットを利用することも広義の大学教育に含まれる。学生が自分たちの手で良質のサイトを作ることも自己育成型の教育の一環として位置づけるべきであることを忘れてはならない。

 授業における利用に限っても、そのスタイルは様々であろう。まずそれらの利用形態を把握し、利用手段のそれぞれについてメリットとデメリットを挙げる必要がある。ネットを利用することは絶対的な必要条件ではない。
  • ネットを利用するメリットがあるにも関わらず適切な利用行動が起こらない場合には強化の方策を考える
  • デメリットが解消しない場合にはネットを利用しない別の方法を探る
といった柔軟な対応が求められる。

 授業におけるネット利用は、授業を補完する手段として利用する場合と、ネット利用を前提として演習を行う場合の2つに分けることができると思う。

 前者の場合は、教室で授業を行うことが基本であり、従来、印刷教材、掲示板(=建物内に設置されたホンモノの掲示板)、電話、直接面会といった手段でコミュニケーションをはかっていた内容をネットで置き換えようというものである。具体的には、
  • シラバスのWeb化。
  • 講義専用サイトの開設(毎回の講義概要のWeb公開、小テストの解説、関連サイトの紹介、期末試験の解説、得点分布の公開など)。
  • メイルまたはネット掲示板による質問の受付。
などが考えられる。

 いっぽう、後者では、ネットの利用が前提となるので、受講生は必ずしも毎回教室に足を運ぶ必要が無い。反面、サーバーのメンテや何らかの事故で接続ができなくなると「休講」を余儀なくされることになる。
 具体的には
  • 指定された課題についてのリポートをEメイルで提出。
  • 提出されたリポートや文献リビューなどをネット上で公開。
  • 卒論や修論の原稿を非公開サイトにアップして、メイリングリストやネット掲示板上で相互リビューや教員による執筆指導を行う。
  • このほか、ゼミ形式の演習では、ゼミ構成員が自学自習や体験型学習の成果をポートフォリオとして公開したり、自主的なホームページ作りを通して相互の向上をはかる場合もある。
 冒頭にも述べたように、前者・後者いずれの場合も、利用手段を整備しただけでは授業は活性化されない。「利用行動の強化」という点でどういう問題が実際に起こってくるのかを把握する必要がある。このほか、指定討論予定者の方からも提案をいただいたが、
  • ネットワーク環境自体が、教育場面に新しい強化子(好子)を提供できるのか?
  • ネットワーク環境自体が、従来の教育場面のコミュニケーション方法とは異なる強化随伴性を持っているのか、あるいは構築できるのか?
という視点も重要になってくる。次回に続く。
【思ったこと】
_10428(土)[教育]21世紀の大学教育(5)ネットを利用した大学教育(2)授業を補完する手段としてネット利用

 昨日の日記の続き。今回は、授業を補完する手段としてネット利用する場合について、私自身の体験をまとめてみたい。
  1. シラバスのWeb化。
  2. 講義専用サイトの開設(毎回の講義概要のWeb公開、小テストの解説、関連サイトの紹介、期末試験の解説、得点分布の公開など)。
  3. Eメイルまたはネット掲示板による質問の受付。


1.シラバスのWeb化

 今年から試行的にシラバスの一部をこちらでWeb化してみた。文学部のシラバスは現時点では印刷冊子として配布されている。学内では一部の学部で、印刷冊子に代えてCD-ROMを配布しているところもあるが、Web化すれば、
  • 経費節減になる(冊子の印刷代、あるいはCD-ROM制作費)
  • 最新の情報を掲載できる(現状では、後期の授業のシラバスも前年度の12月頃までに提出しなければならない)。
  • 必要あれば、リアルタイムで授業の進行状況を紹介できる。→これは次の2.で述べる。
 いっぽう全学のすべての授業シラバスをWeb化した場合、
  • 履修登録前の特定時期にアクセスが集中する恐れ。
  • ネットを利用していない学生は大学の情報処理室や図書館のパソコンを利用することになるが、それだけの収容スペースがあるかどうか。
  • 入学したばかりの学生の中にはネットを使えない者も多く、履修登録前にシラバスを参照できない恐れがある。
といった問題点が想定される。
 ちなみに、このシラバスWeb化に限っては「ネット利用行動」は強化しなくても起こるものである(厳密には、「シラバスを閲覧しないと履修上の不利益を被る」という「好子消失阻止の随伴性」によって強化される)。問題点はむしろ、設備など環境面で「ネット利用行動」をどう保障するかというところにある。

2.講義専用サイトの開設

 1999年度から、公用サイトで、自分の担当している授業それぞれの専用サイトを開設している(過去の記録はこちらから)。それぞれの専用サイトでは
  • 毎回の講義概要の記録
  • 小テスト解説
  • 関連サイト紹介
  • 期末試験解説
  • 得点分布
などを公開した。公用のサイトの場合はurl別のアクセス数のチェックができるので、現在、利用状況を集計中である。補足資料をネット上で公開することは、紙資源の節約にもつながる。

Eメイルまたはネット掲示板による質問の受付  私の授業では、上記の講義専用サイトと対応する形で、ネット掲示板(伝言板)を開設している。個人的な相談にはEメイルでも応じているが、同じような質問に個別に答えるよりも、掲示板で答えたほうが、受講生・教員全体で情報を共有できるというメリットがあるように思う。

 もっとも、実際には、質問の数はきわめて少ない。半期の授業で数件程度に終わったこともあった。このあたり、
  • もともと質問が出ないぐらいに分かりやすい?授業なのか。
  • 質問を思いつくほど深く聴いていないためなのか。
  • ネット利用者が少ないために質問できない状態にあるのか。
といった点は、いまひとつ分からない。ネット掲示板を通じた質問行動をいかに強化するかは、「〜行動をいかに強化するか〜」という今回のシンポのテーマの1つになりうるものである。次回に続く。
【思ったこと】
_10429(日)[教育]21世紀の大学教育(6)ネットを利用した大学教育(3)ネット利用を前提とした演習/通信制大学院

 昨日の日記の続き。ネット利用を前提として演習を行う場合について考えてみることにしたい。

 4/27の日記で予告したように、この場合の利用形態としては
  1. 指定された課題についてのリポートをEメイルで提出。
  2. 提出されたリポートや文献リビューなどをネット上で公開。
  3. 卒論や修論の原稿を非公開サイトにアップして、メイリングリストやネット掲示板上で相互リビューや教員による執筆指導を行う。
  4. このほか、ゼミ形式の演習では、ゼミ構成員が自学自習や体験型学習の成果をポートフォリオとして公開したり、自主的なホームページ作りを通して相互の向上をはかる場合もある。
といったものが考えられる。このうちの2.と3.に関して、私のところでは、今年度の大学院の授業ゼミ指導ですでに実施している。また、昨年度は、学部3年次生向けにミニマムサイコロジーという入門サイトを学生と一緒に作る授業も行った。



 この種の授業で問題点となるのは、学生どうしの相互のリビューや意見交換をどう活発化するかということにある。単に教員と各学生の一対一の指導であるならば、昔ながらの通信添削でも変わりがない。ネットで公開するからには、それを閲覧した人との双方向のコミュニケーションが無ければ意味がない。それらをどう強化するかが課題となる。

 昨年度の私のゼミでは、各卒論生別に専用のネット掲示板(非公開)を開設し、他のゼミ生が建設的なコメントを書き込んだ場合には1ポイント贈呈、さらにそれらの合計のポイントを折れ線グラフにして一括表示するという試みを行ったことがあった。その結果、2〜3名のゼミ生の間では非常に活発な意見が寄せられるようになったが、一方で、それらに一度も参加しない学生も出てきた。

 ゼミ生の相互のコミュニケーションをポイント提示によって強化する場合、次の2つの問題点があるように思う。
  • 書き込みの数や量ばかりを強化の対象とすると、内容の質的低下を招く恐れが出てくる。勉強行動で言えば、勉強の内容ではなく机に向かっている時間に応じて強化するようなもの。あるいは、執筆した論文の本数やページ数だけで研究業績を評価するようなものになる恐れがある。かといって、いちいち内容に立ち入ってポイントの大きさを決めるのは非現実的。
  • ポイントの裏付け好子(習得性好子を好子として機能させているもともとの好子)として何を設定するかという問題。授業におけるポイントである以上、物や金品と交換可能にするわけにはいくまい。考えられる方策としては、
    1. ポイントを成績に反映させる。
    2. 獲得した累積ポイントを折れ線グラフにして個人別にネット上で公表する。
    3. 獲得した累積ポイントを個人別の棒グラフにしてネット上で公表し、競争させる。
    4. エコマネーと同じ発想で、ゼミマネー化し、ゼミ内の相互援助活性化のために「流通」させる。
    いずれの場合も、コミュニケーションを交わすこと自体による行動内在的な好子をどう引き出すかという課題が残る。


 以上、もっぱら学部演習レベルでのネット利用について考えを述べてきたが、最近ではネットを利用した通信制大学院の設置が認められるようになった。これは、1997年12月18日の大学審議会答申「通信制の大学院について」(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/daigaku/toushin/971203.htm)に基づくものである。 通信制大学院のは、自宅や職場から通える範囲に希望する大学院が無くても指導を受けられるメリットがあるほか、将来的には、全国あるいは全世界どこで生活していても、自分の研究分野に最も近い指導教員から指導を受けられるという可能性をもたらすものである。こうした「遠隔教育」について、答申では、
...従来,「遠隔教育」というのは,印刷教材を用いた通信添削型の授業あるいは放送大学による放送授業といった形で,通信制の高等教育機関によって行われるものだと考えられてきたが,技術の発達により,上記のように,遠隔地間を結ぶテレビ会議式の授業という形で,通学制の大学院においても「遠隔教育」を行うことが可能となっている。また,更なる技術の進展により,現在通学制の大学院で行われている教員の授業や研究指導を学生が自宅で受けることができるようになる可能性もある。このように,将来的には,あらゆる学生が,地理的,時間的制約を超えて,通学制の大学院で行われる教育研究に参加でき,分野によっては,通学制と通信制の境界がなくなるような状況が現出することも考えられる。
 こうした情報通信技術を活用して,大学院が,国内外の他の大学院との間で,合同授業やカリキュラムの相互利用を行うといった試みも始まっており,今後,高等教育機関がネットワークを形成することにより,より多彩な教育研究が実施されるものと予想さ れる。
 と述べられており、個別の授業ばかりでなく、今後は、教育組織としての大学院の機構そのものが、ネット利用を軸として、大きく再編される可能性のあることを示している。8月のシンポでは、実際に新設された通信制大学院の教員からも実践体験に基づく話題提供をいただく予定である。
【ちょっと思ったこと】
_10520(日)[教育]山形大学工学部の入試で配慮すべきこと

 山形大学工学部で、入試得点集計プログラムに設定ミスがあり、過去5年間で400名を超える受験生が不合格にさせられてしまったという。大学では、今年の90名はもとより、過去に遡って合格通知を出す方向で検討をしているというが、配慮はそれだけでよいのだろうか。

 一般に、入試の得点集計ミスがあった場合、合格者と不合格者は次の4通りに分かれる。
  1. ミスが無ければ合格していたが、ミスがあったために不合格にさせられた者
  2. ミスの有無に関わらず合格していた者
  3. ミスが無ければ不合格になっていたが、ミスに救われて合格となった者
  4. ミスの有無に関わらず不合格となった者
要するに、過去5年間で400名超の不合格者があったということは、その人数分、本来不合格になるはずの400名が合格していたということを意味するのだ。

 となると在学生や卒業生はどういう気持ちになるだろうか。「努力で合格を勝ち取った」という自信とプライドに疑念をいだく学生は出てこないだろうか。また周囲からこのことで不当な中傷を受ける恐れもある。

 今回のミスは、受験生が入試成績の開示を求めた結果発覚したというが、開示を求めた結果、「ミスが無ければ不合格になっていた」と判明した学生への精神的ケアも必要になってくると思う。

 もう1つ、この大学や学部教授会は入試制度の改善にいったいどう取り組んでいたのだろう。集計ミスの対象となったのは、「センター試験国語(古文と漢文を除く)得点を2倍して合計点に加える」という部分であったというが、合格者がどのくらいの得点をとっていたのか、配点は妥当であったのかなどについて全く追跡調査が行われていなかったとしたら怠慢としか言いようがない。

 最近では「admission policy」などと言われるように、各大学とも「どういう学生を求めるか、そのためにどういう方法で入学者を選ぶか」を検討することが求められている。試験問題も見ず、得点状況も確かめずに、「現代国語は必要だから、200点ぐらい加えておけばよいだろう」などという安易な発想で合格者をもし決めていたとしたら、そちらのほうも批判されなければならない。
【ちょっと思ったこと】
_10718(日)[教育]「○○大学なんて、必要のない世界をつくろう。」という宣伝

 7/19の朝日新聞朝刊に「○○環境大学なんて、必要のない世界をつくろう。」という○○環境大学長の署名入りの広告が掲載されていた。「環境問題がなくなれば、○○環境大学は使命を終える」、しかし現実には、環境問題は地球が直面している緊急の課題なので、あなたの力が必要なのだ、というかなりショッキングな広告であった。

 少し昔の話になるが、近くの○○理科大学が、新幹線岡山駅にリカちゃん人形の巨大写真を掲げて「リカ(ちゃん)の大学だと思っていました」という宣伝をしていたことがあった。少子化に伴い、今春には私立大の3割(493校中149校)、私立短大では半数以上(449校中246校)が定員割れ[]という状況のもとで、各大学の宣伝合戦も熾烈を極め、なかには、今回のようなユニークなキャッチフレーズも飛び出すようになってきた(ちなみに、上記の「○○環境大学」は私立ではなくて、「公設民営」型。念のため)。

 「リカの大学」というのはソフトイメージ型の広告、それに対して今回の広告は、いっけん自己否定と思われるショッキングなフレーズを使うことで使命感を引き出そうという作戦のようだ。この大学の特徴ががよく織り込まれていると言えよう。

 もっとも、環境問題は本質的には人間行動の問題である。何かの技術開発によって全面的に解決され、その使命を終えるという性質のものではない。

 例えば、昨年11月2日の日記でも述べたように、リサイクルは環境破壊の免罪符には決してならない。目に見える物質レベルでの再資源化ばかりに注意を向けてしまうと、その過程でどれだけ大量のエネルギーが投入されているのかに気づかなくなる恐れがある。真の循環型消費を実現するには、我々の生活スタイルの根本を変える必要があり、そのための人間行動についての研究は、地球に人類が存在する限り永続的に求められることになるだろう。

 念のため言っておくが、「○○環境大学なんて、必要のない世界をつくろう。」というフレーズ自体は、環境問題が将来解決されることを必ずしも前提としていない。「環境問題がなくなれば、○○環境大学は使命を終える」が、「環境問題がなくならない限り、○○環境大学の使命は永久に続く」という意味にもとれる。似たようなタイプの広告としては、例えば
  • 警察なんて、必要のない社会を作ろう。犯罪が無くなれば、警察は使命を終える(警察官募集)
  • 自衛隊なんて、必要のない世界を作ろう。日本を攻撃してくる国が無くなれば、自衛隊は使命を終える(自衛官募集)
  • ○○党なんて、必要のない日本を作ろう。政治・経済のあらゆる問題が解決すれば、○○党は使命を終える(選挙ポスター)
というスタイルが考えられる。この種の広告は流行していくだろうか。

※追記]今年度、私立大では入学定員約42万人に対して、志願者は約290万人。入学者は定員の1.13倍にあたる約48万人。
【思ったこと】
_10806(月)[教育]オーストラリア研修(番外編)QUTから、大学環境を考える

 岡山大学は岡山駅から車で10分ほどの近さにありながら、上のカエルの写真にもあるように大学構内には川が流れ、背景には半田山の広葉樹林をひかえるなど自然にめぐまれた環境にある。とはいえ、駐輪問題、空き缶やペットボトルのポイ捨て、吸い殻の散乱など、改善すべき問題も多く抱えている。

 6月のオーストラリア研修旅行の3日目、ブリスベーンのQUT(Queensland University of Technology)を訪れる機会があった。その時の写真をとりあえずイオンネットのサイトにアップした。QUTは、いろいろな点で大学の環境整備の参考になると思った。




 QUTはいくつかのキャンパスに分かれているが、私が訪れたのはそのうちの「Gardens Point」と呼ばれるエリアであった。岡大の北団地の半分ほどの敷地に20余りの建物がひしめいておりそれほど広くはないが、「Gardens」の名の通り、隣接して大きな植物公園がある。日本で言えば、京都府立大(隣に府立植物園あり)や駒沢大学(隣に駒沢公園あり)のような環境に近い。

 この大学は工科大学のはずであるが、メインストリート沿いになぜか「QUT ART Museum」という美術館があった(写真1)。中には、日本の浮世絵もあれば、小学生の夏休みの工作品と見紛うような抽象芸術もあった。いずれにせよ、これだけの美術館を大学構内で無料で開放しているというのはスゴイ。

 大学構内には、禁止事項として「No Skateboarding」、「No Rollerblading」、「No Bikeriding」、また建物から3m以内では「No Smoking」が明示されていた(写真2)。岡大では講義棟、福利施設(生協)、図書館などが次第に全館禁煙になりつつあるが、その反動で建物の出入り口付近でタバコを吸う人が増えている。平気で吸殻をポイ捨てする人がいる。この3mルールはなかなかよいと思うのだが、日本で実効性をあげるには相当の働きかけた必要かもしれない。

 写真3は「飲食禁止」の看板。岡大でも建前上は教室内飲食禁止になっていたと思うのだが、食堂が混雑することもあって守られていない。特に、学生食堂が整備されていない医歯系キャンパスの教室内では相当のゴミがあると、FD関連の会議で聞いたことがある。

 余談だが、オーストラリアでは屋外での飲酒についても厳しい規制があるようだ。写真4はアデレードの海岸で見かけた看板。海岸付近では、飲酒行為はもちろん「POSSESSION」しているだけでも165オーストラリア・ドル(10000〜12000円)の罰金をとられるという徹底ぶりであった。

 写真5は駐輪風景(を撮影したつもり)。岡大のように大量の自転車が建物前に並ぶという風景は見られなかった。かといって、自家用車もバイクも見当たらない。どういう交通手段で通学しているのか、ちゃんと聞いておくべきだった。

 写真6は、建物入口付近の灰皿。余談だが、右横にある「Main Drive Redevelopment」というのはどういう研究分野を意味するのだろうか。仕事柄「Drive=動因」という固定観念があるため、通りがかった時は、「学習意欲を喪失した学生を、再び動機づけるための施設」なんだろうと勝手に思い込んでいたが、何か変だ。「Drive=運転」と考えると「交通違反で免停となった学生のための再教育施設」という意味にもとれるがこれもおかしい。「Drive=道路」と考えれば「道路再開発」となるが、わざわざそういう意味でDriveを使うのだろうか。看板の下部に「Opened by.....Minister of Resources and Energy」とあるところを見ると、「エネルギー資源再開発」という意味なのだろうか。どなたか正解を教えていただければ幸いです。

 写真7は、放し飼いの鳥。人に馴れていて、奈良公園のシカのようにサンドイッチを横取りに来た。この奥にはカフェテリア型の軽食堂、ショップなどがあった。

 このほか、特に気づいた点としては、自販機の少なさがあげられる。目撃した限りでは、カフェテリア横に置かれてあった2台のみ。岡大はたしか50台以上設置されていたと思う。

 写真8は隣接する植物園から見たQUT、写真9と10は公園横を流れるブリスベン川。都会の中でこれだけ自然が残されているのは羨ましいかぎりだ。

この連載は「2001年その3」へ続きます。