心理学の資格問題を考えるCopyright(C)長谷川芳典 |
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【思ったこと】 _10614(木)[心理]心理学の資格問題を考える(その1)「臨床心理士」は学校の救世主か、心理学研究の多様性を排除する官業癒着の産物か 阪神淡路大震災や、つい最近の大阪での児童殺傷事件など、子どもたちの心のケアに「臨床心理士」が活躍することが多くなった。このこと自体は望ましく、またありがたいことだと思うのだが、この「資格」が誰によって認定されているのか、また、心理学関連の諸学会がどういう要望を行っているのかについては、意外に知られていないようだ。 少し前の記事になるが、信濃毎日新聞で野田正彰氏は、臨床心理士の資格問題を「官僚による詐欺」であるとして手厳しく批判しておられる[引用を最小限にとどめるため、長谷川のほうで中途を一部省略させていただいた]。 .....いつの間にか、官と業(官庁と業界)の癒着による資格の濫造、資格取得のためのカリキュラム指定による大学や大学院教育の介入がなしくずしに行われている。もちろん、このような形で臨床心理士が養成されることにもメリットはある。資格の基準を大学院修士課程まで高めることによって、少なくとも、金儲け目当ての「士(サムライ)商法」や、胡散臭い宗教団体によるマインドコントロールを防ぐ効果はあるからだ。 しかし、その一方、「臨床心理士」の受験資格を特定の大学院に限ることは、昨今の国立大法人化や私大の定員割れ問題などとあいまって、心理学教員の採用や専攻の新設などに結果的に介入をもたらすことになった。なぜなら、
このことによって、「臨床心理士」の資格を持たずに基礎的な研究を続けてきた心理学者は、少なくとも一部の大学で不当な扱いを受ける恐れがある。なぜなら、「臨床心理士」養成が急務であるとなれば、その大学では何が何でも臨床心理士の頭数を揃える必要に迫られるからである。例えば、実験系の助教授と「臨床心理士」の資格を持った助教授がいたとする。もしその大学に「臨床心理士」の資格を持った教授が一名も居なかった場合は、業績がどうあれ、その資格をもった助教授のほうを先に昇進させるに違いない。採用の際にも、研究業績よりも「資格」が優先される恐れが出てくる。 以上述べたことはあくまで「臨床心理士」に特権が与えられた場合の話であるが、昨今のスクールカウンセラーの採用条件をめぐって、いよいよそれが現実の問題となってきた。明日に続く。 |
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【思ったこと】 _10615(金)[心理]心理学の資格問題を考える(その2)臨床心理士によるスクールカウンセラー業務の独占 昨日も述べたように、「臨床心理士」は、国家資格ではなく「財団法人日本臨床心理士資格認定協会」という民間の団体によって与えられる認定資格にすぎない。 ここで少々脱線するが、そもそも資格とは何だろうか? 99年7月27日の日記に記したように、ひとくちに資格と言っても
、「臨床心理士」やその他の「心理士」なる資格が特定技能の研鑽を目的としたものであるならば大いに結構。ところが、「一般の人には禁じられているが、資格を有することによって特に認められる行為」という形で特権化されてしまうと、しばしば弊害をもたらすことになる(99年7月26日の日記を合わせて参照されたい)。 このことに関連して、昨年来、「臨床心理士」による「スクールカウンセラー」業務の独占問題が、心理学関連の諸学会の中で問題視されるようになった。 このスクールカウンセラーというのは、小中高校で多発しているいじめや不登校問題に対処するため、調査研究の形で導入されたものである。平成7年4月24日付の文部省初等中等局長裁定(その後の一部改正あり)によれば、その趣旨は いじめや不登校等児童生徒の問題行動等の対応に当たっては,学校におけるカウンセリング等の機能の充実を図ることが重要な課題となっている。とされており、その選考方法については 委託を受けた教育委員会は、財団法人日本臨床心理士資格認定協会の認定に係る臨床心理士など,児童生徒の臨床心理に関して高度に専門的な知識・経験を有する者をスクールカウンセラーとして選考する。とされている。この文面だけでは、「臨床心理士など」となっていて、臨床心理士は単に選考対象の事例の1つとして挙げられたようにも見える。じっさい、このことについては、しかるべき教育と臨床経験を有する者であれば「臨床心理士」以外でも採用されると情報が伝わっていたのだが、現実には、今年度における 教員研修事業費等補助金(スクールカウンセラー活用事業補助)取扱要領(初等中等教育局長裁定)の中では依然として、 (スクールカウンセラーの選考)となっていて、精神科医と大学の臨床心理関係の常勤教員を除けば、臨床心理士のみが独占的に選考の対象となっていることが読みとれる。 もちろん、続く条文には、上記以外にも「(スクールカウンセラーに準ずる者の選考)」という規定があり、そこでは と記されているが、「ただし」以下にもあるようにこれはあくまで経過措置であり、時給も臨床心理士の場合(東京都で5800円)に比べると3500円程度までに抑えられているとの情報がある。 「臨床心理士」が小中高校で生じるさまざまな心の問題の解決に大きく貢献することは決して否定しないが、上記のような差別化、業務独占化が妥当なものであるかどうかについては別の問題としてきっちり議論しておく必要がある。なぜなら、これは形式上
「臨床心理士」が「児童生徒の臨床心理に関して高度に専門的な知識及ぴ経験を有している」ことは認めるとしても、学校問題の解決を彼らだけに委ねてしまってよいものだろうか。例えば、2000年5月25日の日記で取り上げた「型破りの書道授業」をしている先生などはスクールカウンセラーとして十分に活躍していただけると思うのだが、臨床心理士の資格が無いということで排除されてしまうことになる。このほか、長年教育に携わってきた元教員、地域で青少年の育成に貢献してきたお寺の住職、ボランティア活動家なども排除される。さらには教育心理学会や発達心理学会などで児童の発達や教育の問題に取り組んできた心理学者も、臨床心理士の認定を受けていなければ差別的な扱いを受けることになりかねない。 以上、もっぱら臨床心理士による業務の独占の問題点を指摘してきたが、じつは、この問題の背景に、象牙の塔に籠もり学校や社会の現実的な問題に対処してこなかった基礎心理系の研究者の怠慢があることも否定できない。次回はこのことを含めて、まとめの考えを述べることにしたい。 |
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【思ったこと】 _10616(土)[心理]心理学の資格問題を考える(その3)基礎系の学会側にも問題がある 昨日までの日記では、スクールカウンセラーの採用条件や「臨床心理士養成の大学院指定制」が心理学の教育・研究に及ぼす弊害について、もっぱら批判的に取り上げてきた。しかし、昨日の日記の最後にも述べたように、この問題の背景には、象牙の塔に籠もり学校や社会の現実的な問題に対処してこなかった基礎心理系の研究者の怠慢があることも否定できないように思う。 私の知る限りでは、いま日本には心理学関係の学会が30〜40ほどある。その大部分は日本心理学諸学会連合に参加し(99年7月27日の日記参照)、資格問題についても各学会の代表が協議を続けていると聞くが、私の印象では、まさに百家争鳴、例えば統一資格の整備についての議論などは遅々として進んでいないように思う。 もちろん現状でも資格制度が全く無いわけではない。例えば日本心理学会では1990年に「認定心理士」という資格を創設した。しかし、99年7月26日の日記にもあるように、その要件は「日本心理学会員であり、所定の科目38単位を修得した者。学会員になるためには大学の心理学関係の専門課程を卒業している必要がある」という程度のもので、実質的には心理学専攻を卒業していれば誰でも認定される。つまり、卒業証書以上の有難味は無いというわけだ。このほか、最近ではいろいろな学会が、一定の要件を備えた会員に「○○心理士」や「○○カウンセラー」などの資格を与えているが社会的には殆ど認知されていない。要件をあまりにも厳しく設定したために、認定を受けた会員が2ケタにすぎないという資格もあると聞く。 その一方、日本心理臨床学会は比較的歴史が浅いにもかかわらず、臨床心理士の養成と質的向上、有資格者の待遇改善などに力を入れてきた。心理臨床学会が他学会の意向を汲まずに資格化や大学院指定制を強力に押し進めたのは、「抜け駆け」というよりむしろ、関連学会の遅々として進まない資格論議に対する「見切り発車」であったと言ってもよいかと思う。 それゆえ、昨今のスクールカウンセラー採用問題で、文部科学省の役人から
昨日の日記では、スクールカウンセラーが、 (スクールカウンセラーの選考)という基準で選ばれると述べた。確かに形式上、これは官業癒着の構造を産み出しかねない。しかし、じゃあ、それ以外の適任者を誰がどういう基準で選ぶのかと言われても、他に名案は浮かばない。「都道府県又は指定都市が選考し」などと決められても、適任者を選び出せる人材が自治体に揃っているとは到底思えない。ヘタをすれば縁故採用になってしまう。あるいは、万が一、採用された人が派遣先の学校でトラブルを起こしたような場合でも、とりあえず「臨床心理士の中から選んだ」としておけば全くの無資格者の中から選んだ場合よりは、採用者としての責任を問われなくて済むという利点もあるのだろう。 そういう意味では、日本心理学諸学会連合としても、単に「業務の独占だ」、「臨床心理士以外にも枠を広げろ」と主張するだけでは不十分。やはり、 私の学会(学会連合)では、こういう資格を作り、資格取得の要件としてこれだけのものを定めております。資格取得者が臨床心理士と同等以上の活躍をすることを、学会(学会連合)として自信を持って保証いたします。 というぐらいの提案をしていかなければ、役人はもとより、一般社会を納得させることはできず、単なる「内輪の縄張り争い」ぐらいにしか受けとめられないのではないかと思う。 この話題、当初は3回で書き終える予定であったが、いろいろと話が膨らみ、書き足りないことがいろいろ出てきた。6/17の夜から海外研修に出発することになっているので一時中断し、(無事帰国できた場合)6/25頃から、海外研修の報告と並行して連載を再開する予定。 |
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【思ったこと】 _10731(火)[心理]心理学の資格問題を考える(その4)スクールカウンセラー活用調査研究への疑問 オーストラリア研修旅行などの話題を取り上げたため、長期間にわたり中断させてしまったが、前回に引き続いて、臨床心理士やスクールカウンセラーをめぐる資格問題について考えてみたい。 スクールカウンセラー配置に関して、これまでの日記の中で特に強調したのは 「臨床心理士」が「児童生徒の臨床心理に関して高度に専門的な知識及ぴ経験を有している」ことは認めるとしても、学校問題の解決を彼らだけに委ねてしまってよいものだろうか。長年教育に携わってきた元教員、地域で青少年の育成に貢献してきたお寺の住職、ボランティア活動家などは、臨床心理士の認定を受けていなければ差別的な扱いを受けることになりかねない。という問題点であった。 このことに関連して、その後、「スクールカウンセラー活用調査研究」の「調査研究結果の概要」という資料を入手することができた。この調査は、「平成7年度より、臨床心理士など、臨床心理に関して高度に専門的な知識・経験を有する外部の専門家を学校に配備し、児童生徒へのカウンセリング及び保護者や教員に対する助言を行う」事業の「成果」を報告したものである。公的な補助を受けている事業なので、おそらくネット上でもきっちりと公開されているのではないか(←もし公開されていないとすれば直ちに情報公開を求めるべき性質のものだ)と思うのだが、現時点ではサイトを発見することはできなかった。 この報告書は、結論的に、スクールカウンセラー(実質的に「臨床心理士」)を配備することの成果を強調した内容になっているが、「概要」であるとは言え、根拠となるデータの提示の仕方、そこから導かれる結論はあまりにも大ざっぱであるとの印象を否めない。 この調査では、臨床心理士、精神科医、心理学系の大学教官(←「教員」とすべきだろう)など外部の専門家をスクールカウンセラーとして学校に配置することにより、どのような効果がもたらされたのかが検討されたという。その効果としては、「専門性」と「外部性」の2つが挙げられているが、ここでは紙面の都合で、前者についての記述部分にのみを一部引用させていただく。まずは要約部分。 1. 専門性報告書では、さらに児童生徒、教員、保護者についての詳しい記述があるが、紙面の都合で、ここでは児童生徒に関する記述のみを引用させていただく。 【児童生徒】これらの「まとめ」は、いったいどんな根拠に基づいて結論づけられたのだろうか。文面を拝見する限りは、「実施前に、当初の見込みとして期待されていたこと」、たとえば「問題行動が解消されるであろう」と期待されたことを、単に「解消された」と「過去形」に置き換えただけとしか言いようのない、自画自賛的な文章になっている。
次回は、心理学界の「心理士」統一資格問題、日本心理学諸学会連合(日心連)の対応の脆弱さについて意見を述べたいと思う。 [※8/1追記]関連リンク
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【思ったこと】 _10801(水)[心理]心理学の資格問題を考える(その5)「現場をなおざりにした、象牙の塔の中の密室審議」 これまで取り上げてきたように、「臨床心理士」は、国家資格ではなく「財団法人日本臨床心理士資格認定協会」という民間の団体によって与えられる認定資格にすぎない。阪神淡路大震災や、つい最近の大阪での児童殺傷事件など、個々の有資格者の献身的な活動には頭が下がるが、制度上は次のような、看過できない問題が生じつつある。
私自身が疑問に思うのは、上記のような深刻な問題に対してなぜ13票もの反対があったのかという点だ。この会議の理事(あるいは代理)はいずれも、各学会の代表として出席しているはずである。近頃では、国会の審議内容も個々の発言に至るまで公開されている(たとえば衆院会議録参照)。今回の会議において、どういう学会が、どういう理由で反対したのか、発言内容を含めてきっちり公開する義務があると思う。また、今回の第5回理事会では、日本動物心理学会、日本行動計量学会、日本行動療法学会、日本交通心理学会など合計7名の理事が欠席したと記されている。学会の代表ということである以上、理事が個人的な都合で欠席する場合には代理をたてるのが当然であろうと思うが、何か特別の事情があったのだろうか。 日心連第5回理事会記録には、上記の文部科学省への申し入れとは別に、「臨床心理士」の資格認定の元締めである「日本臨床心理士資格認定協会」と、日心連の代表による会合の報告も記されていた。会合は2001年4月6日に1時間半行われたというが 東【日心連】理事長による指定校制度の緩和(修士課程2年間から2年次1年間等の部分化、臨床心理士取得教官数の削減、バイパス制度の導入、スクールカウンセラーのオープン化等)、及ぴ基礎資格の導入等の提案に対して、協会側の具体的な回答は得られなかった。今後の会合については、長期的な展望に立った話し合いには応ずるとの協会側の回答であった。以上の案件については、日心連として今後も検討を続げていくことが了承された。ということで具体的な進展は見られなかったようだ。「長期的な展望に立った話し合いには応ずる」との協会側の回答は、見方によっては、当面の具体的緊急課題については「今後の協議には応じない」という意味にもとれる。この問題についても、会合での発言内容をきっちり公開し、なぜ協会が具体的な回答を示さなかったのか、なぜ「長期的な展望」以外の話し合いに応じないのかをぜひ明らかにしてもらいたいところである。 さて、今回の問題であるが、一般の心理学研究者には、いま何が問題となり、どういう話し合いが行われているのかは殆ど知らされていないように思う。本来、このように公益性の高い問題は、公聴会などを含めて広く現場から意見を聴取し、公開の場で決定すべきであるはずなのだが。上にも述べたが、せめて、衆院会議録なみの詳細な議事録を作り、ネット上で速やかに公開するというぐらいの姿勢が求められると思う。 今回の連載ではもっぱら「臨床心理士」の資格問題を取り上げてきたが、心理学の資格問題はこればかりではない。統一資格(基礎資格、職能資格)をめぐっても、遅々として合意が得られない現状がある。これでは、「現場をなおざりにした、象牙の塔の中の密室審議」と批判されてもやむを得まい。次回は、この問題を取り上げたいと思う。 補注: 2001年5月19日現在で日心連に入会している学会は37学会(5/19にはさらに「日本青年心理学会」の入会が承認された)。各学会の会員数は130名から9621名までマチマチ。会員1000名以上の学会は
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【思ったこと】 _10802(木)[心理]心理学の資格問題を考える(その6)「心理学統一資格」よ、どこへ行く? この連載のとりあえずの最終回として、「心理学統一資格」に関する話題をとりあげてみたい。 1999年7月26日の日記にまとめたように、心理学関係の国家資格というのは、「精神保健福祉士」と「言語聴覚士」ぐらいもの。(私の知りうる限りでは)それ以外の資格は、民間の団体や学会による認定資格にすぎず、規模や基準もマチマチになっているのが現状だ。 そんななか、心理学関係の諸学会の代表が集まって統一資格を作ろうという動きがあった。その経緯については日本発達心理学会のサイト内にある“ニューズレター:「資格問題」関連記事の抜粋”で、当事者の方々が詳しく書いておられるのでそれらを参照されたい。【2006.1.14.現在、リンク先変更によりアクセスできなくなっています。】 その記事にもあるように、心理学関係の資格として想定されているのは、おおむね「(学部卒レベルの)統一基礎資格」と「(大学院修士修了レベルの)職能資格」の2タイプに分けられる。しかし、ここ数年、日本心理学諸学会連合(「日心連」と略す)における議論は遅々として進まない。5/19の日心連第11回常任理事会記録でも、東理事長ご自身が、理事長所感として「この2年間は、目に見える具体的成果が得られたとはいえない」と述べてほどだから、そう判断しても間違いはあるまい。 ではなぜそのように、議論は遅々として進まないのだろうか。その根本は、日心連加入学会の多くの会員の無関心さ、そして、協議に際して、教育や福祉現場の声が殆ど反映されていないことにあるのではないかと思う。 それもそのはずである。大部分の学会の役員は、大学関係者で占められている。すでに大学の教員になった者にとっては、統一資格があろうとなかろうと自分の生活には関係がない。そういうことに関わる暇があったら、少しでも自分の研究に時間をとり、論文をたくさん刊行し、科研費や各種助成の獲得に専念したほうがよっぽど「お得」であろう。唯一困るのは、「財団法人日本臨床心理士資格認定協会」による大学院指定制強化によって、自分の大学の基礎系心理学のポストが臨床心理士有資格者に置き換えられることである。だから反対はする。しかし、現場の声を活かして資格のあり方そのものに建設的に取り組もうという姿勢が無いから、それ以上先に進まない。 学会の中には、資格を学会の収入源程度にしか考えていない風潮もあるようだ。「ものつくり大学」設立の際に政治家が暗躍したことからも分かるように、資格問題は何かと利権が絡む点に留意しなければならぬ。日本発達心理学会の「4.資格をめぐって考えていきたいこと」という記事で、青柳肇氏はこの点を厳しく指摘しておられた。 「正直言って、○○学会の財政は、当学会の××資格からの収益によって支えられています。××資格がなくなったら、学会運営が難しくなります」。この発言はある大きな学会の一人の幹部が、心理学界の公的な会議で発せられ、私が直接聞いたものです。正直と言えば正直なのですが、釈然としないのを感じたのは私だけだったのでしょうか?.....【以下略】.....こういう本末転倒の発想で資格問題を論じる学会がある限りは、議論が進展するはずはない。 各学会の利害の調整と合意形成を第一に考えている限りは、いつまでたっても具体的な成果など得られないように思う。5/19の日心連第11回常任理事会で東理事長は「心理学界が2つに分裂することを回避する方向を目指すべきこと」という所感を述べられたという。分裂回避は大切だとは思うが、学界の外から見れば、単に「1つの業界の中でも棲み分け」として受けとめられてもおかしくない。極言するなら、学界が分裂したっていいじゃないか、それよりも、教育や福祉の現場が何を求めているのか、それを最優先に考えた資格づくりに取り組むべきだと思う。 もう1つ、もし、「大学の心理学専攻を卒業した」程度で機械的に取得できるような要件であるなら、私はあえて資格など作る必要はないと思う。「○○大学△△学科心理学専攻卒業」という卒業証明書があれば十分。あとは大学間で教育の質を競えばよい。何万円も支払って認定証を貰うメリットは何もないはずである。 今回の連載の執筆にあたって、いくつかの学会のHPを参照した。その中では、上にも挙げた、日本発達心理学会のサイトが、「資格」というものについて最も深く、本質的な議論をしているように思われた。臨床現場からのヒヤリングをきっちりと行っている点も評価できる。 私の基本的な考えは1999年7月26日当時とあまり変わっていない。「資格」には
[※]この連載のタイトルは、“「臨床心理士」は学校の救世主か、心理学研究の多様性を排除する官業癒着の産物か”という少々挑発的なタイトルであった。無用な誤解を避けるため、連載を1つのファイルにまとめるさいには、「心理学の資格問題を考える」というソフトな名称に変更する予定であるが、記述内容は変更しない方針である。 |
| 【思ったこと】 990726(月)[心理]心理士にもいろいろある 少し前に日本心理学会発行の『心理学ワールド』第6号で「心理の資格」をまとめた特集記事があったので、これを機会に「○○心理士」などと呼ばれる心理の資格についてまとめてみたいと思う。 まず大まかに見ていこう。上掲書にリストアップされている資格は17種類ある。このうち国家資格は、精神保健福祉士と言語聴覚士の2資格のみ。臨床心理士、認定心理士、産業カウンセラーの3資格が法人認定。他は学会認定となっている。私のところにもたまに「カウンセラーの資格をとりたい」という志望者が出てくるけれど、カウンセラー自体は国家資格ではない。それから有料講座とか通信教育を受けることで「○○の資格がとれます」などと広告を出しているのもたまに見かけるが、中にはその団体が独自に認定しているだけで社会的には全く認知されていないものもあるので注意が必要だ。
『新明解国語辞典』(三省堂)によれば資格とは とされている。各種心理士において「一般の人には禁じられているが、資格を有することによって特に認められる行為」なるものが実際に定められているのかどうか、詳しいことは分からない。現実には、個人の修得目標として、また全体の技能の向上をはかる目的で設定されたものが多いように思う。 医療行為の場合は、特定の治療法の有効性は、特定個人や機関の権力・権威などと独立してある程度客観的に実証することができる(データの公表を遅らせたり隠匿したりする事件が無いわけでもないが)。これに対して、心理的な療法には、これがより有効であるということを客観的に実証する方法が必ずしも伴っておらず、また、個体差が非常に大きいために、平均値の有意差として確認された「有効性」が特定個人に対しても確実に有効であるとの保証は得られないところがある。 この点からみると、カリキュラムとか協会主催の講習会の受講などのようにかなり高度な内容まで必要要件に定めてしまうと、特定の流派の療法が固定化され、その枠組み自体を否定するような新しい療法の開発が押さえられたり、その流派に従わない研究・教育が排除されて、その流派だけの特権化が強められる恐れがある。極端な場合、このことが大学教官のポストをも拘束することにつながる。 そういう意味では、個人的には、心理学関係の資格というのはきわめて基礎的な要件を満たすものに限定し、そこから先の実践活動については、他流派との比較を含めた客観的な外部評価にゆだねていったほうがよいと思う。そのほうが研究・実践の活性化にもつながるし、特定流派に偏らない臨床家の地位向上にもつながるように考えている。 とにかく、各流派が国家資格の先陣争いを演じるようでは困る。「資格があるから何かができる」というような能力の固定化には反対。あくまで個人の当面の努力の目標として、各流派の技能向上の手段として資格認定制度が整備されることを望む。 |
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【思ったこと】 990727(火)[心理]街角で心理学者にばったり出会う確率、ネット時代における学会の役割を考える 昨日の日記で心理士にもいろいろあるという話題を取り上げたが、そもそも心理者というのは全国でどのぐらいの数に達するのであろうか。心理学者であるかどうかという合理的な基準があるわけではないが、とりあえず関連する学会の会員数を調べてみた。ここにとりあげた学会は、日本心理学諸学会連合(1999.5.15.会則制定)に入会している30学会のうち、5/15現在で会員数の報告のあった24学会の会員数をグラフ化したものである。なお、報告がなかったのは、日本バイオフィードバック学会、日本行動計量学会、日本行動療法学会、日本人間性心理学会、日本臨床心理学会、日本特殊教育学会の6学会であった。 グラフはこちらをご覧ください。 この時点で最大会員数を有するのは臨床心理士の資格認定に関係の深い日本心理臨床学会で8658名。次が日本心理学会で6075名となっていた。会員数の報告のあった学会の中で1000名以上の会員を有するのは8学会。私が理事をつとめている日本行動分析学会は17番目の規模となっている。 おおざっぱに言って、街角でばったりぶつかった相手が日本心理学会の会員である確率は2万分の1、どれか1つの学会の会員にぶち当たる確率は(複数入会している人が非常に多いので単純合計数よりはかなり少ないと考えて)5000分の1ぐらいではないかと推定される。 この種の数値は毎年1度ほど目にすることがあるが、記憶に残っている範囲で言えば、やはり日本心理臨床学会の会員数の大幅な増加が目立つように思う。資格認定に関わるとなれば単なる学問的関心ばかりでなくその道を進む者の生活にも直接影響してくる。純粋な研究交流目的だけの学会というのは、「会の活動に参加する」行動を強化する力が弱い。どうしても400〜500人レベルの規模に落ち着いてしまうところがあるように思う。 ところで私自身は、ここ数年のうちにいくつかの学会を退会している。メイリングリストやホームページなどネットを通じた研究交流が活発になるなかで、年に1回程度集まって研究発表をやったり、ブルーリボン・ジャーナルでリジェクトされたような論文ばかりを集めた機関誌を発行する程度の学会に参加することにどの程度の意義があるかは分からない。これまでの人間関係とか諸々のしがらみがあって躊躇しているところもあるが、あと2学会はできれば退会したいと思っている。 |
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【新しく知ったこと】
昨日の日記でとりあげた「心理士」の資格に関連して、いつもお世話になっている、あんくるさんから以下のような情報をいただいたので、少々長くなるが紹介させていただく。例によって改行部分やリスティング部分は長谷川のほうで改変させていただいた。 資格について。資格、免許、あるいは学位などを含めて、「一生モン」のほうがよいか、一定期間ごとにチェックをして更新を求めるものがよいのか、すでにある諸資格について検討を加えたほうがよいものもあるだろう。このあたりは出張後に「ルール支配行動から生きがいを考える」シリーズで考察していきたいと思っている。 |
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【思ったこと】 _10805(日)[心理]心理学諸学会の「盛衰」/学会の役割について考える 99年7月27日の日記で、日本心理学諸学会連合(日心連)に入会している30学会のうち、5/15現在で会員数の報告のあった24学会の会員数をグラフ化したことがあった。今回、2001年5月19日現在の会員数の報告をもとに、それら各学会の会員数がどれだけ増えたのか調べてみた。なお、8/1の日記にも記したとおり、日心連に加入している学会数は現在は38学会となっている。グラフ化したのは、2年前と比較ができた24学会に限られている点にご留意願いたい。 まず、会員の増加数を図1に示す。グラフによれば、増加数がいちばん多いのは、日本心理臨床学会、ついで日本カウンセリング学会、日本教育心理学会、日本健康心理学会、日本発達心理学会、日本心理学会.....という順になっている。今回比較ができた24学会のうち、増加数が3ケタ以上であったのは9学会、4学会は減少、10学会は1〜2ケタの微増、日本家族心理学会は昨年度以前のデータということなので正確な比較はできなかった。 このグラフから非常に特徴的な点が読みとれる。それは、いま述べた上位6学会がいずれも、学会独自(もしくは関連する認定協会)で資格を認定している(計画中を含む)ことである。具体的には
次に、会員の増加率(%)を図2に示す。今回比較ができた24学会のうち、増加数が10%以上であったのは7学会、4学会は減少、13学会は0〜10%の微増となっていた。増加率で見る限り、資格問題の影響は今ひとつ分からない。小規模学会では分母が小さくなるため、増加数のわりには率が増えていないようにも見えてしまう。ちなみに、増加数、増加率いずれでも名前が挙がったのは、日本心理臨床学会、日本カウンセリング学会、日本健康心理学会の3学会であった。 余談だが、この「じぶん更新日記」が参加している日記才人(サイト)の実登録数(登録番号から削除番号を引いた数、管理者用を除く)は、1999年6月1日の時点で3375、その2年後の2001年6月1日で10801であり、増加数は7426、増加率は220%(3.2倍)となっている。比較にならないほどの増加ぶりである。 もちろん学術団体の場合、必ずしも会員数が多ければよいというものでもない。十分な情報交換機能があり、相互批判と援助によってノーベル賞級の研究が次々と推進されるパワーがあるならば数十人規模でもよいと言える。しかし、なにがしかの社会貢献をめざす学問分野であるならば、会員数の減少あるいは長期停滞は結果的に社会的影響力の低下をまねく。 そもそも、学会は何のために存続するのか。高邁な設立趣旨はさておき、学会が存続するためには、「それに入会し、活動する」という各会員の行動が十分に強化されることが絶対に必要である。では、会員を強化する要因としては何があるだろうか。
となると、「資格」とまで大げさなことは言わなくても、学生会員の勉学に具体的な努力目標を与えるような検定試験のようなものは実施してもよいのではないかと思う。 このほか、若手の研究者を養成するための多様なサービス、例えば
心理学関係学会の数だけで30、40というように細分化が進むと、時間的・金銭的な制約から個人として入会できる学会の数も限られてくる。企業や大学と同様、学会も生き残りをかけた競争の時代に入ったと思うのは私だけだろうか。 |
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【思ったこと】 _50311(金)[心理]Google上位にランクされることは必ずしもホンモノの証明にはならない 日本心理学会のWebサイトにアクセスしたところ、Top画面に ■「社団法人日本心理学会と酷似した学会名を騙る団体への入会にご注意」 という注意書きがあることに気づいた。公共性のある内容なので転載させていただくと 日本心理学会理事長 辻 敬一郎となっていた。 2005年2月22日のニュースにもあるように、国家資格「医療心理士」というのは、まだ創設へ向けて超党派議連が発足した段階。資格が存在していないのに「医療心理士学会」が先にできるのは妙だと思ってGoogleで検索したところ、確かにそのような「学会」のWebサイトがあることを発見した。 しかし、そのサイト、どうもおかしい。通常、この種の学会であれば、理事長、役員などの名前や事務局の住所が明記されているはずなのだが、3月11日にアクセスした時点ではそれらしき記載がどこにも無い。また、学会誌として『メディカルライン』を刊行しているように書かれているが、ネットで検索する限りは、そのような学術誌の存在は確認できなかった。 このほか、「学会」の「定款」や認定資格の基準などの記述が他所の学会の基準と酷似していること(←パクリ?)、また、心理学のMLでいただいた情報によれば、「症例ニュース」の中にはhttp://gsk.so-netm3.com/contents/ssri/ssri_01_02_1/02.html(2005.7.7.現在アクセス禁止)のコンテンツの丸写しがあることが判明した。けっきょく、唯一明記されているのは、郵便振込口座の番号とメイルアドレスだけ。これって、??? 今回のケースが該当するかどうかは分からないが、 ●GoogleでTopにランクされているということ と ●そのWebサイトがホンモノであること は全く別物であることに注意しておく必要があるだろう。Google検索のアルゴリズムが優れていることは確かだが、しょせん「たくさん見られていること」が第一条件であって、ホンモノであるかどうかはいちいち審査されていない。 そこで、例えば、「日本日記心理学会」なる団体が設立されたとする。その学会がWebサイトを開設する前に、何物かが同じタイトルでニセモノサイトを作り、各所からアクセスされてしまえばGoogleのTopにランクされることになる(ちなみに、3月13日の時点で「日本日記心理学会」を検索すると、なぜかこんな感じになる)。 でもって、ホンモノの学会に新たに入会した会員が、会費振込の口座を調べようとGoogle検索すれば、ニセモノの「日本日記心理学会」サイトにぶち当たることになる。そこにもっともらしく、定款や「日記心理学」に関するコンテンツが掲載されていれば、大して疑うことなく会費を払ってしまう恐れがある。これはかなり怖い。 この種の「振り込め」詐欺は、公式サイトをきっちり管理していない小規模学会で起こりうると思う。小規模学会の場合、公式サイトを外注するほどの資金がなく、役員がボランティア的にメンテすることになるが、その怠慢から、1年以上更新されないという事態もおこりかねない。その一方、学会サイトのurlなどはいちいち覚えられないので、Googleで固有名詞を入れて検索することになる。もしインチキサイトのほうが上位にランクされていれば、騙されて会費を払い込む人も出てくるに違いない。 同じことは、銀行や旅行会社、ホテルなどのWebサイトでも起こりうる。ビジネスホテルの固有名詞を入れて検索した場合、当該のホテルのオリジナルのWebサイトよりも、楽天、じゃらん、JTBなどのトラベルサービスの宿泊プランのほうが上位にくることが多いが、ひょっとすると、中には、そのホテルの名前を詐称したニセモノ予約サイトが混じっているかもしれない。そんなところに個人情報を入力したら大変なことになる。やはり、信頼できるサイトからのリンクに頼るか、複数の手段で確認するという手間を怠らないことが大切かと思う。 |
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【思ったこと】 _50629(水)[心理]スクールカウンセラーと“こころ主義” 心理学のメイリングリストの中で最近、スクールカウンセラーと臨床心理士に関するスレッドが立ち上がっている。このログは一般にWeb公開されているので(fpr2005のログの中の「fpr2809」のスレッドを参照)ここでは繰り返さないが、私もそこそこ発言させていただいた。 発言の中で ●吉田武男・中井孝章 (2003).「カウンセラーは学校を救えるかー「心理主義化する学校」の病理と変革」昭和堂 1995円 という本が紹介されていたので(fpr2833)、さっそく注文。Amazonのサイトでは関連本として ●小沢 牧子 「心の専門家」はいらない(2002).洋泉社 735円 も紹介されており、こちらも参考になりそうだ。 それぞれの本については中身を拝見していないので何もコメントできないが、タイトルからの連想で「こころ主義」批判という2000年12月28日付けの日記のことを思い出した。 姜尚中氏によれば、「こころ主義」というのは ●恐ろしく複雑な社会環境を人のこころ、その内面の問題に封じ込めて出来事の原因をわかりやすく説明しようとする動き のことを言う。学校現場においても、そこで起こる様々な問題の原因を、もっぱら生徒個人の「こころ」の問題に封じ込め、教育環境システム自体の点検・改良に目を向けないことになれば「こころ主義」蔓延と言ってもよいだろう。 もちろんどこの小中高でも、こころのケアを必要とする人たちが存在することは確かであり、そういう人たちをサポートするために、専門的知識を持ったスクールカウンセラーを配備することは必要であるとは思うが(但し、その採用にあたって臨床心理士を優遇することには私は反対している)、大切なことは、教育環境それ自体を全員の手で点検し、カウンセラーに頼らなくても充実した学校生活が送れるような改良に全員の手で取り組むことである(1999年8月5日の日記参照)。 例えば、ある小学校で虫歯にかかった生徒が非常に多かったとする。この場合、「スクール歯医者さん」に来てもらって保健室で治療を行えば、虫歯そのものは治っていくだろう。しかし、その学校の中で、日常的に甘いお菓子を食べる習慣があったり、あるいは、歯磨きができるような洗面設備が無かったとすれば、毎年同じ比率で虫歯にかかる児童が出てくる。けっきょく、教員、児童、家庭全体で予防に取り組んでいかなければ虫歯を無くすことはできない。学校内の問題についてもこれと同様であり、何か問題があればすべてスクールカウンセラーに頼るというのでは根本的な改善にはつながらない。 なお、昨日いただいた我妻さんからの情報(fpr2834)によれば、『AERA』で ●「学校カウンセラーの孤立と失望 学校からも親からも責められ,待遇は不安定。自分の心のケアが必要になる事態も」AERA, Vol. 18, No. 30, p. 34-35, 6/6/2005. という話題が取り上げられているという。内容は拝見していないが、学校内で起こる問題を何でもかんでもスクールカウンセラーに頼るような風潮があれば、タイトルのようなことが起こってくるであろうと推察できる。 |
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【思ったこと】 _50704(月)[心理]臨床心理士と医療心理師の国家資格化 各種報道によれば、臨床心理士と医療心理師の両方を国家資格化するための法案がまとまりつつある。 これまで、「臨床心理士」を今の民間の資格から国家資格に格上げすべきだとする有志の議員と、医療現場で患者に心理療法を施す「医療心理師」という国家資格を新たに設けることが望ましいとする有志の議員が別々に議員連盟をつくり議員立法をめざしてきた。今回、これらの議員連盟は、2つの専門職には共通点があるとして受験資格などを同じ法律で定めるよう取り組むことで一致し、資格を得た人に課せられる義務などを盛り込んだ法案の骨子をまとめた。今の国会での法案成立をめざすことになるという。 医療心理師については、今年の春、活動実態のよく分からない団体が「日本医療心理士学会」を名乗り、社団法人日本心理学会から注意が喚起されたところであるが、ホンモノの医療心理師(→「士」は「師」に)の国家資格化については、ずっと以前よりぜんしんきょう(全国保健・医療・福祉心理職能協会)が地道な活動を続けており、私の公用サイトからもリンクしているところである。 いっぽう、臨床心理士やスクールカウンセラーに関しては、こちらの連載を通じて意見を述べてきたことがある。何はともあれ、ここにきて、国会議員の中で心理職国家資格についての関心が高まってきたことは喜ばしいことだと思う。 ところでNHKのニュース概要では ●学校などでカウンセリングにあたる「臨床心理士」 ●医療現場で患者に心理療法を施す「医療心理師」 という形で、それぞれの資格が特徴づけられているが、この特徴がそのまま法案に盛り込まれることになると、「臨床心理士」は形式上に病院から締め出されることになる。病院で一定年限勤務して実績のある臨床心理士は、そのまま医療心理師の資格をとれるような経過措置がとられるのだろうか。法案の中身が分からないので何とも言えない(医療心理師に限った法案要綱はこちらにあり。2005年7月5日朝現在。いっぽう、日本臨床心理士会では医療機関の臨床心理職に関する署名活動が行われているようだ)。 いっぽう、スクールカウンセラーに従事する臨床心理士に対しては、別の面からの風当たりが強くなっているようだ(6月29日の日記参照)。いずれにせよ、肯定的な証拠が無いままに、スクールカウンセラーとして臨床心理士を優遇するような制度を作ることは困難と思われる。 2つの資格が国家資格化されることになると、臨床心理士取得をセールスポイントにして入学者獲得をもくろんできた一部の大学(大学院)は大いに慌てることになるだろう。いや、入学すれば資格はとれるだろう。しかし、就職先が確保できなければ、受験生は減少し、学力低下や定員割れを引き起こすことになる。ま、法科大学院の場合もそうであるが、一部の大学(大学院)にとっては、試練の時代を迎えることになるだろう。 |
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【思ったこと】 _50705(火)[心理]臨床心理士と医療心理師の国家資格化(続き) 昨日の日記の続き。昨日もリンクしてあったぜんしんきょう(全国保健・医療・福祉心理職能協会)のサイトに ●臨床心理士及び医療心理師法案要綱 がアップされていたので御紹介させていただく。この法案は、7月5日午前10時より憲政記念館にて「医療心理師(仮称)国家資格法を目指す議員の会」と「臨床心理士職の国家資格化を通じ国民の心のケアの充実を目指す議員懇談会」の合同総会が開催され、国家資格に関する議員立法について検討を行った結果了承された要綱であるという。ざっと拝見した限りで気づいたことをいくつか。
以上いろいろ述べてきたが、この法案って、郵政民営化法案みたいに賛否が伯仲するのだろうか。それとも、あまり注目されることなく、すんなりと通ってしまうのだろうか。 昨日も述べたが、この法律が通れば、病院関係で心理職に就くことを希望する者は、臨床心理士の指定大学院で教育を受ける必要はなくなる。そのことによって定員割れを起こす大学院も出てくるかもしれない。臨床心理士になること自体は、国家資格としてこれまで以上に権威付けされるだろう。 なお、この法案によれば、新たな2つの国家資格は更新制とせず、一度取得すれば基本的には生涯有効となる模様である。一部報道によれば、臨床心理士の国家資格化を求める議連からは、資格取得後も継続的にカウンセラーの能力を担保する必要があるとして更新制度の導入を求める意見があったが、医療関連の職種での免許の更新制度の議論につながるのを警戒する厚労系議連が難色を示し法案に盛り込むことは見送られたということである。確かに、医療心理師だけが更新制で、医師や看護師は生涯有効というのは矛盾してしまう。半面、臨床心理士の更新制が無くなれば、学会や認定組織の求心力はいくぶん弱まるのではないかと予想される。 なお、以上はあくまで長谷川の個人的な感想を述べたものであり、私の所属する大学の方針を反映したものでは一切無いことをお断りしておく。 |